定年後の老後生活は、趣味や余暇を楽しむ姿を思い浮かべる人も多いでしょう。一方で、十分な資金があっても、再び働くことを選ぶ人がいます。そこには、収入だけではない「社会とのつながり」や「生きがい」への思いがありました。ある男性の事例から、老後の働き方や社会参加について考えます。
「もう一度、働かせてください」〈退職金2,500万円・68歳〉悠々自適の老後を捨て、元部下の会社を訪ねたワケ ※写真はイメージです/PIXTA

退職して初めて気づいた「仕事がない」生活

「退職したら、好きなことをして過ごそうと思っていました」

 

東京都内に住む小林茂さん(68歳・仮名)。大学卒業後、メーカーに勤務し、営業部門を中心に働いてきました。60歳で定年を迎え、約2,500万円の退職金を手にしました。その後65歳まで再雇用で働き、月18万円の年金を受け取るように。現在は生活費に困る状況ではありません。

 

妻と2人で暮らし、平日の昼間に映画を見たり、近所を散歩したりする生活です。現役時代にはできなかったことを楽しもうと考えていました。

 

ところが、半年、1年と時間が過ぎても、思ったほど生活は充実しませんでした。

 

「最初は、会社に行かなくていいことが楽でした。でも、毎日やることがあるわけではない。だんだん曜日も気にしなくなりました」

 

特に気になったのは、人と話す機会が減ったことです。現役時代は、部下から相談を受けることもあれば、取引先から連絡が入ることもありました。会社を離れると、それが一気になくなります。

 

妻から「今日は何するの?」と聞かれても、答えに困る日が増えました。

 

「お金の心配はありませんでした。でも、自分が誰かの役に立っていると感じる場面がなくなって、ぽっかりと心に穴が開いてしまったというか。その穴がどんどん大きくなっていくというか……」

 

総務省『労働力調査(2025年平均)』によると、65歳以上の就業者数は943万人と過去最多を更新し、65〜69歳の就業率は54.5%と半数を超えています。さらに70〜74歳でも36.2%が働いており、厚生労働省の令和7年「高年齢者雇用状況等報告」でも企業の34.8%が70歳までの就業確保措置を実施しています。

 

現代のシニア層において、働く目的は「生活費」だけでなく「社会参加」や「生きがい」を重視する傾向が顕著です。老後資金に問題がなくても、退職後に「社会との接点」を失った虚無感から、小林さんのように再び誰かの役に立ちたいと就労を希望するケースは決して少なくありません。

 

小林さんが改めて仕事を意識するようになったのは、退職から2年ほどたったころでした。ある日、現役時代の部下だった加藤剛さん(49歳・仮名)から電話がかかってきました。加藤さんは小林さんの退職後に独立し、現在は社員十数人の会社を経営しています。近況を話すなかで、加藤さんが「最近、営業の人間が足りなくて」と漏らしました。

 

その言葉が、小林さんの頭に残りました。自分には長年の営業経験があります。顧客との付き合い方や、若手社員の育成にも経験がありました。しかし、すでに仕事から離れて2年。70代もすぐそこまで迫っています。

 

「今さら自分から仕事をくださいと言うのは、どうなんだろうと思いました」

 

数日考えた末、小林さんは加藤さんの会社を訪ねることにしました。

 

そして、こう切り出します。

 

「もし仕事があるなら、働かせてもらえないでしょうか」