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宝くじで得た「ささやかな贅沢」
Sさんは再び一人で銀行を訪れ、口座を作り、当選金を受け取りました。6億円――。通帳の印字は仕事でしかみたことがない桁数です。人生経験とはいえ、こんなお金を手に入れて無謀なことをしているのではないかと、また不安が押し寄せてきます。
銀行に出向いたSさんの服装は、スーパーの衣料品売り場で買った地味なもの。着古した長袖のポロシャツが定年退職をした高齢者といった風情です。とても口座に6億円が入っている「超富裕層」にはみえません。
その夜、妻Tさんに「むかし、会社で入ったドル建て保険の返戻金が円安で増えていてね。解約したからこれを家のリフォームの足しにしようよ」と、Sさんは500万円の臨時収入があったという嘘をつきました。妻は「あら、凄いじゃない」と喜び、それ以上深く追及しませんでした。
そこからSさんの「秘密の贅沢」が始まります。
いつものように喫茶店でモーニングのコーヒーをすすりながら、6億円でなにをしようか考えてみました。すぐに思いついたのは、若いころに家族のために我慢していたことを思う存分にやろうというプランです。
まずは自動車。大手メーカーの管理職だというのに、当時から乗っていたのは錆びた軽自動車でした。年収もそれなりにあったのだから、本当は新車のBMWに乗りたかった。でも当時、妻は許してくれませんでした。滅多に乗らないのだから軽自動車で十分、というのが妻の言い分でした。マンションの駐車場ではSさんの車だけが古ぼけていて、見栄を張らない妻を恨めしく思ったものです。
BMWの購入はぜひ実行しよう。Sさんはすぐに決めました。しかし、妻に内緒である以上、マンションの駐車場に車を停めるわけにはいきません。自宅から離れた場所に駐車場を借りる必要があります。スマホで検索してみたところ、最寄り駅から3駅離れた場所に屋内の平置き駐車場に空きがあることがわかりました。料金は月9万円。年間108万円ですが、安いものです。
カーディーラーに普段着のまま入ると、営業マンがにこやかに接客してくれました。Sさんのような質素な身なりの高齢者は、実のところ富裕層であることも多いのです。「契約後にすぐに一括で代金を振り込みます。そこから登録手続きをしてください」と営業マンに伝えると、驚きもせず丁寧に手続きをしてくれました。在庫車を購入したため、2週間後には納車されました。
そのまま借りた駐車場に行ってみると、隣にはフェラーリやポルシェなどが無造作に停められていて、場違いな雰囲気に圧倒されました。「こんなことをしていいのだろうか」と少し苦しくなりましたが、あまり深く考えても仕方ありません。