制度制定の背景
【代表取締役の住所がこれまで公開されてきた理由】
会社を設立して代表取締役に就任すると、会社の登記簿上に自宅住所が記載されます。会社の登記簿は、最寄りの登記所で手数料を支払えば誰でも取得可能です。つまり代表取締役の住所は、基本的には誰でも閲覧できる状態にあるのです。
登記簿上で代表取締役の住所を公開するという運用方法は、日本の商業登記規則に基づいて長年行われてきました。その背景には、次のような法的および社会的な理由があります。
・透明性の確保
会社法では、会社は株主や取引先をはじめとする利害関係者に対して、一定の情報を公開する義務があります。代表取締役の住所を公開することで、会社の実質的な責任者が誰であるかを明らかにし、透明性を確保していました。
・責任の明確化
代表取締役は、会社の経営を行い、法律上の最終的な責任を負う立場にあります。住所を公開することで、「この人が責任を持つ」というメッセージを示す役割を果たしていました。
・実在性の証明
住所を公開することで、代表取締役が「実在する人物」であることを証明する役割を果たしていました。
・信用力の担保
取引先や株主が会社と取引を行う際、代表者の住所が公開されることで、責任者が実在する人物であることを確認できます。これにより、会社の信用力を高める効果が期待されていました。
・悪用防止
架空会社や詐欺的な法人設立を防ぐために、代表取締役の情報公開が抑止力となっていました。
・裁判手続きなど法的な手続きのための便宜
会社が関係する訴訟や法的手続きにおいて、代表取締役個人を相手取る場合や通知を送る際に円滑に対応できるようになっています。これにより、法的な手続きが遅延するリスクを減らす目的があります。
【表示措置が必要となった理由】
前述のとおり、代表取締役の住所公開の趣旨は、もし会社が第三者に損害を与えた場合は代表取締役に対して責任追及ができるように、住所情報を誰でも取得できる状態に置いておくことで、透明性を保つ役割を果たしていました。
一方、個人情報保護の重要性が増すなかで、代表取締役の住所を公開する制度は多くの課題を抱えるようになりました。
・個人情報の悪用:詐欺やストーカー、迷惑行為のターゲットになるリスクが増加しました。
・プライバシーの侵害:特に自宅住所が公開されることにより、代表者の私生活が不当に侵害される事例が問題視されています。
・国際基準とのズレ:多くの先進国では、代表者の住所を公開しない仕組みを採用しており、日本の運用が国際基準に合わなくなってきました。
これらの問題を解決するため、代表取締役の自宅住所を非表示にする選択肢として、非表示措置が導入されることになりました。
〈非表示措置のポイント〉
・非表示対象:代表取締役の「自宅住所」
・適用範囲:株式会社・合同会社の代表者
・非表示の方法:法務局にて、一定の登記申請とセットで住所非表示措置申出の手続きを行う
非表示措置のメリット
・安全性の向上
代表取締役の住所が公開されることで、ストーカー被害や詐欺などの犯罪に巻き込まれるリスクが生じます。非表示措置により、これらのリスクを軽減できます。
・プライバシーの保護
自宅を本店所在地として登記する場合、本店所在地と代表者住所が同じ表記になります。本店所在地=自宅と容易にわかるため、住所公開によるプライバシー侵害が避けられませんでした。この制度により、プライバシーを守りながら会社設立が可能になります。
・起業家の心理的負担の軽減
特に小規模企業や個人事業主にとって、自宅住所が公開されることで、事業開始に対する不安や負担が大きくなります。この制度を利用することで安心感を得られ、事業運営に集中できます。
手続きの具体的な流れ
(1)必要書類の準備
・代表取締役住所非表示申出書(法務局指定の書式)
・身分証明書(運転免許証やマイナンバーカードなど)
・実質的支配者申告書または申告受理および認証証明書
・本店の実在性を証明する書類(株式会社が受取人として記載された書面がその本店の所在場所に宛てて配達証明郵便により送付されたことを証する書面等)
(2)法務局への提出
本店所在地を管轄する法務局に、代表取締役の住所が登記されることになる登記申請(会社設立、役員変更、住所変更、管轄外本店移転など)とセットで申出します。申出書には、住所非表示を希望する旨を記載する必要があります(法務省ホームページに記載例あり)。
参考:法務省ホームページ『代表取締役等住所非表示措置について』(https://www.moj.go.jp/MINJI/minji06_00210.html)
(3)審査と通知
登記申請完了後、問題がなければ住所非表示措置が講じられて非表示になります。処理には通常1週間から10日程度かかります。
(4)手数料と費用
住所非表示の手続き自体は無料ですが、書類準備や専門家への依頼を行う場合、別途費用がかかる場合があります。
制度利用時の注意点
●完全に匿名になるわけではない
非表示措置を利用しても、代表取締役の氏名や本店所在地は引き続き公開されます。住所のみが非表示となる点を理解しておきましょう。また、住所は最小行政区画まで公表されます。
●信用力への影響
非表示措置が講じられた場合には、登記事項証明書等によって会社代表者の住所を証明することができないこととなるため、金融機関から融資を受けるに当たって不都合が生じたり、不動産取引等に当たって必要な書類(会社の印鑑証明書等)が増えたりするなど、一定の影響が生じることが想定されます。
●登記義務が免除されるわけではない
非表示措置が講じられた場合であっても、会社法に規定される登記義務が免除されるわけではありません。そのため代表取締役等の住所に変更が生じた場合には、その旨の登記の申請をする必要があります。
●申請書の不備に注意
非表示措置が講じられた場合であっても、登記の申請書には代表取締役等の住所を記載する必要があるため、住所の記載を失念することのないよう気を付ける必要があります。
●単独での申出はできない
非表示措置の申出を単体で行うことはできません。代表取締役の住所が登記されることになる登記申請とセットで行う必要があります。
安心して事業を運営するために
非表示措置は、起業家や小規模事業者にとって非常に重要なプライバシー保護策です。特に、自宅住所を公開せざるを得なかった状況を改善し、安心して事業運営を進められる環境を提供します。
プライバシー保護と事業の透明性を両立させるため、必要に応じて専門家の力を借りながら、この制度を最大限に活用しましょう。これにより、安心して事業の成長に集中できる環境を整えることができます。
加陽 麻里布
司法書士法人永田町事務所 代表司法書士