私たち日本人は、自分の立場が下なら聞き手に、自分の立場が相手より上なら話し手になる場合が多く、ふたりが対等な立場で話をする対話は、上司・部下間ではあまり見受けられません。かつて、士農工商の身分制度があった日本では同じ武士や農民のなかでも、上下関係がありました。「日本人同士では対話や議論が進まない。」このことにいちはやく気づき改善しようとした幕末の志士が吉田松陰です。本記事では、吉田松陰が生み出した画期的な対話や議論の在り方について、小川隆弘、氏による著書『成果が出る1on1 部下が自律する5つのルール』(ごきげんビジネス出版 ブランディング)から一部を抜粋・再編集して解説します。
相手の呼び方を「きみ」に変えただけ…吉田松陰が切り拓いた「忖度のない日本の対話」 (※写真はイメージです/PIXTA)

日米、根深いコミュニケーションの違い

日本人は対話や議論ができないことに気づいた幕末の偉人

日本人は、空気を読む、以心伝心、1を聞いて10を知るなどといった忖度や配慮が入るため、上司・部下では対等な議論や話し合いがほとんどされていませんでした。とくに企業では指示命令がほとんど。自分で考えたり学んだりできる対話の機会も少なかったのです。

 

西欧社会ではギリシャローマ以降、アジア諸国に比べて議論や対話が盛んだった印象がありませんか? 日本の歴史を見ると、寺子屋、弟子、説法、免許皆伝などの言葉があるように、一方的指導が教育の主体だった印象をもちます。対話や議論が盛んだったイメージはありません。一方的な座学が教育だったと考えられます。このことにいちはやく気づき改善しようとした幕末の勤王の志士がいました。お気づきでしょうか?

 

答えは松下村塾の吉田松陰です。彼は、塾生の学びには言語化・対話・内省が重要と考えていたと思われます。

 

相手によって使い分ける2人称

江戸時代まで士農工商の身分制度があったことは、ご存知のとおりです。同じ武士のなかでも、あるいは農民のなかにも、上下関係がありました。武士では将軍・大名・家老・足軽に至るまで。しかも同じ家老でも筆頭家老から末席家老まで。当事者でないとわからない微妙な上下関係が存在していました。

 

当時の日本人はそれを微妙にかぎとり、相手を呼ぶ際も自然と瞬時の判断で言語化し、第1人称と第2人称を使い分けていたのです。2人称は、あなた、きみ、お主、そなた、そこもと、そち、お前、貴殿、貴様、貴公、てめえ、あんた、お手前、など多数あります。1人称も同様です。

 

松下村塾では、農民や商人の子から武士の子まで、さまざまな身分の子弟が集まっています。議論や対話を求めても、当初は身分の下の者たちは上の者たちに遠慮して対話や議論が進まなかったと想像されます。自分の家と相手の家の身分がわかった段階で、第1人称・第2人称の呼び方を瞬時に使い分けていたことでしょう。これでは率直な対話や議論ができないのは至極当然です。