私たち日本人は、自分の立場が下なら聞き手に、自分の立場が相手より上なら話し手になる場合が多く、ふたりが対等な立場で話をする対話は、上司・部下間ではあまり見受けられません。かつて、士農工商の身分制度があった日本では同じ武士や農民のなかでも、上下関係がありました。「日本人同士では対話や議論が進まない。」このことにいちはやく気づき改善しようとした幕末の志士が吉田松陰です。本記事では、吉田松陰が生み出した画期的な対話や議論の在り方について、小川隆弘、氏による著書『成果が出る1on1 部下が自律する5つのルール』(ごきげんビジネス出版 ブランディング)から一部を抜粋・再編集して解説します。
相手の呼び方を「きみ」に変えただけ…吉田松陰が切り拓いた「忖度のない日本の対話」 (※写真はイメージです/PIXTA)

2人称を「きみ」に統一した吉田松陰

そこで、忖度なく自由闊達な対話や議論ができるように、吉田松陰は第2人称を「きみ」に統一したと考えられます(第2人称を「きみ」と呼ぶようになったのは吉田松陰から)。これだと、いかに身分が違っても、相手のことを同じ呼び方で呼ばざるを得ません。日本人同士の対話にとって画期的なことだったと考えられます。

 

一人称「僕」もここで生まれたようです。すごい先見の明ですね。吉田松陰は「日本人同士では対話や議論が進まないこと」を、この段階ですでにわかっていたと思われます。しかも「人は対話や議論のなかで自らの考えを言語化することで多くを学ぶ」ことも知っていたのです。これはコーチングのオートクラインのスキルです。

 

座学中心だった日本人にとって、松下村塾での対話や議論は画期的な学習方法になったものと思われます。170年も前に、すでにこのことに気づいていた日本人がいたことに驚きませんか。

 

傾聴のお手本は「ワイドショーのMC」

傾聴のお手本として、ワイドショーのMCを取り上げます。

 

朝やお昼のワイドショーの出席者は、MC、コメンテーター、専門家など、事件に対するコメントの役割が分かれています。事件・事故などが起こると、事実をMCが述べたあとコメンテーターに感想を求めるシーンを思い浮かべてください。意見をいいおわるまでMCは絶対に話を遮りません。最後まで聞いています。

 

しかも視聴者にとってわかりにくいと思われる点は、「〇〇さんがいいたいのは〜〜ということでしょうか?」と確認を取ります。さらに、専門家に意見を伺い、専門家がいいおわったら、「〜〜〜ということが考えられるのではないか、というお話ですね」とその話の骨子をわかりやすく要約してくりかえしています。

 

おわかりのとおりワイドショーのMCを傾聴という観点から見ると、学びがいっぱいあるのです。ぜひ傾聴の視点でチェックし、参考にすることをオススメします。

 

 

小川 隆弘、

キャリアコンサルタント、コーチ、研修講師

 

※本記事は『成果が出る1on1 部下が自律する5つのルール』(ごきげんビジネス出版)の一部を抜粋し、THE GOLD ONLINE編集部が本文を一部改変しております。