▼数刻前
黒エルフ「ここで働いてみて、あらためて呆れたわ。人間って本当にすぐに嘘をつく生き物なのね」
女騎士「と言うと?」
黒エルフ「この場所の営業権を欲しがるやつらがたくさんいたのよ。節操のない嘘をついて、この場所をだまし取ろうとしてきたの」
兄「子供だと思って、甘く見てやがったんだ」
黒エルフ「この子たちの父親の古い友人だとか、書類にサインすれば年金を受け取れるとか……。山ほどの嘘を聞かされて、この国で複式簿記が普及しない理由が分かったわ」
女騎士「どういうことだ」
黒エルフ「嘘つきが使うには、複式簿記は正直すぎるのよ。帳簿に嘘を書けば、必ずほころびが生まれる。無かったはずの収益をあったことにしたり、あったはずの費用を無かったことにすれば、現実と帳簿に齟齬が生まれる。どんなわずかなズレでも、そこから嘘がバレる」
女騎士「どんなに大きな堤防でも、小さな蟻の穴から決壊する……と」
黒エルフ「そう。カネは諸悪の根源なんて言うけれど、大間違いね」
女騎士「お金は人心を惑わし、嘘をつかせるのではないか?」
黒エルフ「嘘をつく人間がいるだけよ。お金は嘘をつかないわ、絶対に」
女騎士「それで、どうやってこれだけのお金を作ったのだ? 単価の高い牛肉を増やして売上を伸ばしたのか、それとも肉の種類を増やしたのか……」
黒エルフ「とくに目新しいことはしてないわ。リードタイムを短くして、機会損失を抑えて、利益率の最大化を目指した。当たり前のことをしただけよ」
妹「じつは最初の3日間は、お姉さんは何もしなかったんです」
兄「正直、不安だったよ……」
黒エルフ「その3日間は経営状態のチェックにあてたの。その結果、分かったことが3つあるわ」
女騎士「ふむ?」
黒エルフ「まず第一に、『肉の鮮度低下』が最大の損失要因だということ。これは疑う余地がなかった。この店では、仕入れた値段に4割の利益を乗せて定価を設定している。なのに、実際の利益率は20%くらいになってしまっていた」
女騎士「鮮度が落ちたら値下げしないと売れないから、だな」
黒エルフ「氷魔法を使えない以上、仕入れてから店頭に並べるまでの時間をできるかぎり短くするしかない」
女騎士「なるほど」
黒エルフ「次に分かったことは、店の前の人通りがいちばん多くなるのは『中央市場』の開場直後だということ」
妹「教えてもらうまで、私たちも知りませんでした……」
兄「その時間帯は、肉の仕入れで外を回っていたから……」
女騎士「つまり、いちばん客が多い時間に店を開けていなかった?」
黒エルフ「ええ、とんでもない機会損失をしていたわけ。お父さまが存命のころよりも市場の開場時間が早くなっていたのよ」
兄「仕入れ先の営業時間は同じだから、開店時間を変えられなかったんだよ」
黒エルフ「肉の鮮度を落とさず、機会損失を抑えるなら……肉の種類を絞ったほうがいいと判断したわ」
女騎士「3カ所から肉を仕入れている間にも鮮度は落ち続けるし、人通りの多い時間も過ぎてしまう……。だから、肉の仕入れ先を減らすことにしたというわけか」
黒エルフ「そう。そして分かったことの3つ目は、『どの肉がいちばん高利益率か』よ」
妹「帳簿が教えてくれたんです!」
黒エルフ「肉の利益率は、部位や鮮度によって変わる。販売する肉の種類を絞るなら、利益を出しやすい肉を選ぶべきよね?」
女騎士「牛肉、鳥肉、豚肉のなかで、もっとも利益の出る肉……」
黒エルフ「帳簿のデータを調べたら、平均していちばん高い利益を生み出すのは鳥肉だった」
兄「とくに調理済みのものは、驚くほど利益が高かったんだよ」
女騎士「調理済み……そうか、あの唐揚げ!」
妹「はい! 毎朝、どこよりも早く開店して唐揚げを売ったんです!」
兄「そしたら、『中央市場』で商売している人たちの朝食や昼食として、すごく気に入ってもらえたんだ」
黒エルフ「飛ぶように売れたわよ、鳥肉だけに」
女騎士「コカトリスって飛ぶのか?」
黒エルフ「1日の売上は1千290Gくらい、仕入れ額は852Gくらいに増えた。利益率は34%ね」
カキカキ……
黒エルフ「日次売上1千290G、利益率34%というのは、この規模の肉屋としてはほぼ上限に近い数字よ。その結果、このお店のPLはこんな感じになった。飲食費などの諸経費を加味しても、8千776Gの営業利益が出たわ」
カキカキ……
黒エルフ「そしてBSは、こう。1日の売上が1千290Gだから、飲食代などの出費を差し引いても、毎日1千240Gずつの現金が貯まっていった。昨日の時点で、返済に充分な現金を貯めることができた」
黒エルフ「ちなみに、BSの純資産の増加額は、PLの利益と一致するわ」
女騎士「ふむ、なぜだ?」
黒エルフ「『利益が出る』って、言い換えれば『資産が負債よりも速く増える』ことなのよ。たとえば売上が伸びれば、そのぶん資産が──現金や売掛金が──増える。その一方で、仕入や費用が増えたら、負債が──買掛金や未払費用が──増えるわ」
カキカキ……
女騎士「そうか。利益が出るということは、売上のほうが仕入や費用よりも大きかったということだから……」
黒エルフ「……利益が出ているお店では、資産の増加額のほうが、負債の増加額よりも大きくなるの」
黒エルフ「どう? 約束は果たしたわ」
女騎士「ああ……どう感謝したらいいか……」
黒エルフ「別に。できて当然のことをしたまでよ」
女騎士「しかしお前は、商売に絶対はないと──」
黒エルフ「言ったでしょう、全力を尽くすって。正しい帳簿さえあれば、あたしは世界だって救ってみせる」