定年退職を機に義父が豹変
仕事一筋で65歳まで過ごしてきた義父は、定年退職をしたあと、毎日やることがないようでした。もとの同僚や後輩とは疎遠になり、友人も少なく趣味もない義父は日々テレビを見て過ごしていました。義母の家事について「効率が悪いからこうすべき」など余計なアドバイスを繰り返し、義父母は度々喧嘩をするようになりました。
あるときから、その暇つぶしの矛先が、中学生になった自分の孫に向かうように。「親が忙しいからオレが勉強を教える」と言い出し、毎日夕方と土日は家庭教師のように勉強に付きっきりになりました。友達と遊ぶために外出しても「定時連絡を欠かすな」と携帯電話から連絡することを要求。少しでも帰りが遅くなると車に乗って辺りを探しに行きます。
しかし孫の成績はよくなりません。定期テストのたびに「オレに恥をかかせるのか」「親と違ってできが悪い」「努力が足りない」などと自分の孫を罵倒するように。
そしてある日、事件は起こります。長男のSさんがショッピングモールのトイレで自殺未遂をし、意識のないところを発見されたのです。妻のKさんはパニックとなりました。こんな事態になるまで、義父が教育と称して孫を虐待していたことを知りませんでした。
義父と話し合いをもったところ、義父は「なにが虐待だ、教育だろう」「お前らが子供を放置して仕事にかまけるから、オレが面倒を見てやった」「あいつは甘ったれている」と自分に責任を感じていない様子でした。挙句の果てに、「いつ退院するんだ、定期テストの勉強が遅れるじゃないか」とまで言い放ったのです。
中学校教員の自分が、中学生の子供を自殺未遂に追いやることになるとは……とKさんは激しく自分を責めました。
すぐに子供を連れて家を出ることを決断。しかし夫のMさんは義父をかばうばかりで一緒に家を出ることに躊躇します。
「それなら子供を守るためには離婚もやむを得ません」そう夫に告げ、離婚することにしました。離婚することを知った義父は激怒。毎日電話をかけてきては、「家のローンはどうやって払うんだ」「オレの息子に恥をかかせるのか」などと喚き散らすため、電話をブロックせざるを得ませんでした。
子供は自殺未遂の体の傷から回復したものの、それ以降不登校に。高校への進学もストップし、精神面での療養に専念しています。それを聞きつけた義父は、Kさんと子供が住むマンションの周りを徘徊するように。
きっと子供のことが心配なのでしょう。子供が恐怖を持ってしまうためやむを得ず警察から注意してもらうことにしました。強制力はないものの「近づくな」と強く警告してもらってからは徘徊が止まりました。
義父はもともと心の中に大きなハードルを抱えている人なのかもしれないと、冷静になると少しは理解できます。仕事を失ってから本当に孤独だったのでしょう。しかし孫を可愛がるあまりに執着し虐待に走ってしまいました。Kさんはあとから知ったことですが、義父は定年退職によって急激に認知機能の衰えが進んでいたそうです。
二世帯住宅で義父母と同居するということは、老いていく義父母の認知の変化に付き合うということでもあります。メリットだけに目を奪われていましたが、大きなリスクがあることを失敗してから知ったKさんでした。