東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代の人々の遊び場だった街を巡っていきましょう。
吉原・猿若町・向島・飛鳥山…江戸文化息づく「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑦】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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猿若町【台東区】…歌舞伎や人形浄瑠璃などが盛んに行われた芝居の街

空からの花やしき
空からの花やしき

 

猿若町は、東京都台東区の旧地名で、現在の浅草6丁目辺りになります。

 

天保13年(1842)に天保の改革で、日本橋や京橋などにあった芝居小屋が浅草聖天町に移されたときに誕生した芝居の町で、歌舞伎や人形浄瑠璃などの演劇が盛んに行われました。

 

猿若町には、江戸三座と呼ばれる中村座、市村座、森田座があり、江戸の人々が娯楽を求めて訪問、「猿若町時代」なる一時代を築きました。

 

猿若町の地名は、寛永元年(1624)に江戸に下ってきた江戸歌舞伎の祖といわれる猿若勘三郎の姓をとったことに由来します。勘三郎は江戸中橋(現、中央区京橋付近)で興行を始めたと言われ、堺町(現、日本橋人形町3丁目)への移転の際に、座元の名字である中村に合わせて中村座と改称しました。中村座は江戸歌舞伎界を代表する歴史と由緒を誇り、勘三郎が幕府から依頼された仕事を成功させた褒美として、幕府から金の麾(ざい:旗)と陣羽織を賜ったという記録もあります。

 

猿若町時代以前は、その中村座と地続きの葺屋町(中央区日本橋)に市村座があり、大芝居町「二丁町」を形成、他にも、木挽町(中央区銀座)で山村座、森田座が興行していました。なお、山村座は、正徳4年(1714)の江島生島事件で廃絶させられてしまいました。

 

猿若町は明治に入ると、中村座・市村座・森田座の三座がそれぞれ別の場所に移転し、芝居町としての役目を終えます。猿若町には現在も、江戸三座の跡地や芝居関係者の墓所など、芝居の歴史を伝える碑や史跡が残っています。また、浅草寺や雷門などの観光名所に近く、浅草花やしきや浅草演芸ホールなどの娯楽施設もあります。

 

【猿若町周辺のおすすめスポット】

◆江戸猿若町中村座跡

中村座は江戸三座の一つで、初代中村勘三郎が創立した歌舞伎の発祥の地です。現在は石碑と看板が残っています

◆江戸猿若町市村座跡碑

市村座は江戸三座の一つで、歌舞伎の名作を数多く生み出した劇場です。現在は石碑と看板が残っています

◆江戸猿若町守田座跡

守田座は江戸三座の一つで、河原崎座として創立し、後に森田座と改称しました。現在は石碑と看板が残っています

◆浅草花やしき

日本最古の遊園地で、昭和レトロな雰囲気が楽しめます。観覧車やジェットコースターなどのアトラクションや、お化け屋敷や芝居小屋などの施設があります

◆浅草演芸ホール

落語や漫才などの伝統的な日本の笑いを鑑賞できる劇場です。毎日昼夜2回公演が行われており、入れ替え制で6~7組の芸人が出演します

 

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