東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸時代の人々の遊び場だった街を巡っていきましょう。
吉原・猿若町・向島・飛鳥山…江戸文化息づく「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩⑦】 (※写真はイメージです/PIXTA)

東京の暮らしを豊かにする情報満載のWEBメディア「TOKYO@14区」
ほかの記事も読む(外部サイトに遷移します)>>>

向島【墨田区】…東京で最も芸妓数が多い花街

向島百花園
向島百花園

 

向島は隅田川の東岸に位置する東京都墨田区の町名です。かつて、向島芸者などで知られていた地で、江戸時代から花街(料亭街)として栄えてきた歴史があります。社寺や文豪の名所といった観光資源も多く、向島百花園や牛島神社などがあります。また、永井荷風の『墨東奇譚』の舞台にもなっています。

 

向島の名の由来は、隅田川の西側にある浅草から見て“向こう側”であるということからつけられたと言われています。

 

向島の花街は東京で最も芸妓数が多い花街で、向島墨堤組合という組織が芸妓や料亭を管理しています。西川流や猿若流といった日本舞踊の流派もあり、春には桜茶屋を設けて花見客を接待したり、様々な催し物を行ったりしています。

 

向島は桜の名所としても知られています。江戸の行楽地として多くの人に親しまれた墨堤の桜は、八代将軍吉宗の時に本格的に桜の植樹が行われたと記録があります。桜の名所としては、王子飛鳥山(北区)や上野山(台東区)がありましたが、飛鳥山は向島よりも江戸市中から遠く、上野山は音曲禁止といった規制もあったため、向島が江戸郊外で一番の賑わいを見せていたようです。

 

今も名物として残る「長命寺の桜もち」は、享保2年(1717)に、墨堤沿いの長命寺で働く山本新六が、試みに墨堤の桜の葉を樽の中に塩漬けにして餅を包んで売り出したのが始まりです。他にも、向島界隈には和菓子屋や料理屋などが数多くありました。

 

文化元年(1804)、向島の地を愛した文人墨客の助けを受けて、仙台生まれの商人佐原鞠塢(さわらきくう)が寺島内多賀屋敷跡に百花園を開き、文人が集まる風流なところとして、たちまち有名になりました。新春に一年の幸せを願って七福神を巡礼するという「隅田川七福神めぐり」は、ここに集まった文人たちの間で考え出されたと言われます。

 

【向島周辺のおすすめスポット】

◆隅田公園

桜やスカイツリーの景色が美しい公園です。隅田川七福神巡りのスタート地点でもあります

◆牛嶋神社

隅田公園に隣接する綺麗で立派な神社です。撫牛と呼ばれる牛の像に触れると病気が治ると言われています

◆向島百花園

江戸時代から続く花の名所です。四季折々の花が楽しめます

◆東京スカイツリー

日本一高い電波塔で、展望台からは東京の街並みを一望できます。周辺にはショッピングモールや水族館もあります

◆羽子板資料館

江戸時代から現代までの羽子板の歴史や文化を紹介する博物館です。作り方や道具も展示されています