日本では、高所得者と低所得者が同じ地域に住んでいることが多く、その地域の学校では同じクラスで高所得者の子供と低所得者の子供が一緒に学ぶことになります。このシステムについて、ノンフィクション作家・石井光太氏は、全員が一定以上の教育を受けられるという利点がある反面、欠点もあるといいます。どういうことか、石井氏の著書『世界と比べてわかる 日本の貧困のリアル』(PHP研究所)から一部抜粋して紹介します。
貧困家庭の子も「富裕層の子と同じ教育」を受けられるが…子供の人生を壊しかねない「日本の教育システムの欠点」 (※写真はイメージです/PIXTA)

チャンスを「自ら捨ててしまう」子供が一定数いる理由

しかしながら、公立校に通う貧しい子供たちがみなその恩恵を受けているわけではない。チャンスはたくさん用意されているのに、それを自ら捨ててしまう子供たちが一定数いるのだ。

 

なぜか。それは経済格差の中で子供たちの中に生まれる劣等感が深く関係している。貧しい子供たちは高所得家庭の子供たちと過ごし、競い合ううちに、持たざる者としての自分の立場を思い知らされるのである。

 

たとえば、公立学校では授業料こそ無償だが、給食費や修学旅行費の積み立て、部活動の諸経費などは各家庭の負担であり、子供たちの中には経済的な事情から支払いが困難な家庭もある。

 

文部科学省の調べでは、公立の小中学校の生徒の約1%が給食費(小学校が月平均4,477円、中学校が月平均5,121円)を未納しているとされている。こうした子供たちが、「うちの家は貧乏で恥ずかしい」とか「もう学校に行きたくない」といった否定的な気持ちを抱いてしまうのは仕方のないことだ。

 

また、学校内外でのクラスメイトの何気ない付き合いから、子供たちが家庭環境の違いを痛感することも少なくない。富裕層の子供が誕生日に高価なプレゼントを買ってもらっていたり、夏休みに海外旅行へ行っていたり、最新のゲームやスマートフォンを持っていたりすれば、貧困層の子供たちは家庭環境の違いを痛感するだろう。

 

習い事においても明確な差がある。たしかに日本の公立校もそれなりのレベルの授業をしている。だが、富裕層の子供は、小さな頃から学校以外にも学習塾や英会話に通っており、より高いレベルの教育を受ける機会に恵まれている。これはスポーツや芸術などにおいても同じだ。そうなれば、本人の努力だけではなかなか埋められない差が生じることもある。

 

事例から、よりリアルに考えてみよう。

 

美菜が進学を諦めた理由

美菜は、兵庫県内で水商売をしている母親の娘として生まれた。母親は仕事が終わった後も朝まで客と飲み歩いて帰って来ず、実質的に同居していた祖母によって育てられた。

 

祖母は母から養育費を受け取っていなかったので、自身のパート代でやりくりしていた。友達はよく地元のプールやスケートに行こうと誘ってくれたが、美菜は祖母にお小遣いをせがむことができず断ってばかりいた。遠足のときも、お菓子を持参できないのが恥ずかしく、仮病を使って休んだこともあった。

 

中学に入ると、美菜はこれまで以上にお金のことを気にする機会が増えた。制服や上履きが小さくなっても買ってくれといい出せず、虫歯になっても歯医者へ行かずに痛みに耐えようとした。おしゃれな服がなかったので、外出の際は常に制服だった。

 

クラスメイトたちの中には塾を掛け持ちして受験勉強に励む者もいた。だが、美菜には高校へ行くことにためらいがあった。受験のためにはお金がかかり、進学した後も何かと出費が重なる。この頃、祖母は体調を崩しており、自分のために無理をさせるわけにはいかないという事情もあった。

 

美菜は悩んだ末に進学を諦め、中学卒業後はアルバイトをして生きていくことにした。自分で選んだこととはいえ、高校生になった同級生たちが輝いているように見えた。美菜は彼らと距離を取り、同じような境遇のフリーターたちと付き合うようになっていった。自分は日陰の存在で、変に夢を抱いてはいけないという気持ちがあった。

 

18歳のとき、彼女はフリーターの男性との間に子供ができた。幸せな家庭を夢見て結婚し、出産したが、1年も経たずに離婚。それから6年が経った今は、生活保護を受けながらシングルマザーとして生きている。