日本の認識は世界の常識と異なる
まず、アートの価値についてですが、残念ながら日本は世界の認識とは異なります。日本では清廉潔白をよしとする風潮があります。それゆえ、アートはお金ではなく、アートそのものに意味があるから、アートとお金をリンクさせるのは間違っているという考えが根強いと思います。
世界においてアートは「国家の資産」であり、ソフトパワーです。さらに世界の資産でもあるため、歴史の中できちんと評価していく必要があるという認識です。評価されるアートを持っている国が、国際関係においてその国力を象徴します。アートを評するには、アートの絶対的な芸術性を評価するのと同時に、その価値判断の一つとして国の法定通貨で価値を図ることも大事です。法定通貨とは、国が定める通貨で、米ドル、日本円などを指します。
アートが法定通貨で高額で取引され、注目を浴びていきます。その出来事がアート作品の評価にもつながるため、人類の資産として長く生き延びることになるのです。逆に、二束三文でしか取引されないアート作品は、二束三文としていつの日か廃棄され、消えてゆきます。
また、アートの価値と価格の関係で言えることは、アートはインフレ時代に実物資産として法定通貨よりも価値が上昇します。一方、法定通貨の価値はデフレ時代において、アートのような実物資産よりも安全で価値が高まる傾向があります。法定通貨は国の信用の裏返しであるのと同時に、アートには絶対的な実物資産としての価値があります。そのため、時代時代で法定通貨とアートの価値は影響しあっているのが特徴でしょう。
歴史的に見ると、現在、米ドルが強い時代が続いています。以前は、英ポンドが強い時代もありました。しかし、法定通貨は、あくまでその国の存在と信用力に依存しています。真のアートは、国の存在や信用力に依存することなく、人類の資産として保全されていくという意味において、価値ある実物資産と言えます。
当然、貴金属なども、アートと同じ実物資産としての価値を有しています。「金」や「ダイヤモンド」は、実物資産として長く歴史上で法定通貨よりも安定した価値を保っています。
しかし、アートは唯一無二のものであり、貴金属などと異なり、人類が民族の差異を超え、共通してその価値を認めるため、実物資産として法定通貨にはない資産価値を有しているのです。