同業者に言われた耳を疑う言葉
そんな折、印刷業組合の古くからの知り合いであるキタニプリント(仮名)の木谷社長(仮名)が、新田印刷廃業のFAXを見て、駆けつけてくれました。
「新田さん、ウチと一緒になりませんか? M&Aってやつです。ウチは今、印刷業務に関して、納期厳守が難しいほど多くの発注が届いています」
よく聞くと、キタニプリントは印刷工場を持たずに、デザインや営業以外は、全て外注していました。しかし、近年は大手企業からの発注や官公庁への入札の仕事が重なり、外注だけでは納期遅れが発生して困っていたのです。新田印刷を吸収すれば、印刷工程が内製化され、納期が厳しい仕事は社内で製造することが出来るので、クレームが減り、更なる受注拡大が出来る、と木谷社長は熱く語りました。
その後、木谷社長が続けた言葉に、新田社長は耳を疑いました。
「もちろん、それ相応の対価は支払います。新田印刷の品質はピカイチです。仕事が丁寧で納期も早い。印刷機械や職人、得意先も引き継ぐことが出来るなら、イービッタ※は1,000万円は固いです。そうですね、3年分の3,000万円でどうでしょう。」(※イービッタ:営業利益+減価償却など。事業の正常収益率を指す)
『さ、3,000万円だって⁉︎ まさか、新田印刷にそんな価値があったのか…』
新田社長は予期せぬ価格提示に驚き、イスから転げ落ちそうになりました。しかし、時すでに遅し、です。従業員の転職先は決まっており、印刷機械も引き取ってもらった後でした。工場も売却先が決まっており、今更白紙にしても手付金の倍返しとなります。
「もう2ヵ月早くそんな話が聞けたら良かったんだけど…」木谷社長は残念がってくれましたが、新田社長にとってはそれ以上に残念なことでした。旧知の木谷社長と一緒になれれば、機械を処分することも、従業員に辞めてもらうこともありませんでした。その上、少なくない譲渡額を獲得できたのですから。
総務省及び帝国データバンクの集計では、2025年には、70歳以上の中小企業経営者のうち、後継者不在かつ黒字の事業者は年間6万者に達します。黒字の企業が廃業してしまえば、雇用・ノウハウは失われ、機械や内装等の設備は産業廃棄物となってしまいます。日本の経済力が失われてしまう要因であると言っても過言ではありません。
小規模事業でも、廃業や撤退ではなく、後世に引き継ぐことが可能です。少額の手数料で小企業同士を繋ぐ活動を始めた士業協会もあります。
小規模事業には価値があります。廃業の前に、事業引継ぎ(マイクロM&A)も検討されてはいかがでしょうか。