故郷に戻っても続く苦悩…運送会社の正社員で基本給12万円
でも、故郷に戻っても運転士って潰しがきかないんですよ。仕事が限られていて。
奨学金の返済があるので、もうええわ、って就職したのが運送会社でした。電車の運転士以外の職業も気になって、ドライバーとして働くことになりました。
それまでとまったく違う世界。ライバル会社との価格競争が激しくて、僕の担当のエリアはいくら集荷しても赤字になっていました。通販の品物の配送が多く、安く請け負っているので数をこなす。ドライバーは完全にキャパシティオーバーの状態でした。
それではダメだと思って、集荷先に頭を下げて仕事をとって赤字を改善しました。もちろん、本社からも「営業強化」を命じられます。
僕は、配送は早く終えることはできたのですが、営業は嫌いでしたね。ライバル会社でなく、うちにお願いします、って。
みんな知らないと思うけど、街中で配送しているドライバーは営業もしているんですよ。営業がとれないと、田舎に異動させられるんです。
正社員でしたが、給与は安かったです。基本給が12万円。それにどれだけ配達できたかで歩合がつくんです。1日に50個しか配達できないと歩合はつきませんでした。
お歳暮のシーズンは稼げるので、良いときは月給が手取り30万円のときもありますが、歩合が少ないと手取り月10万円ということも。
この頃に交際していたのが妻で、給与が変動しすぎるのでは未来が見えないと思って、転職を決めて、今の会社で働き出しました。
奨学金の300万円は、利子が30万円つきましたが2年前に完済しました。大学時代にバイトで貯めた150万円を卒業するときに返して、残りを働きながら。
月1万7000円の返済でしたが、ホント、重かったぁ。特に運送会社で働いていたときは月によって給与が違うので、きつかったです。
大学の4年間、遊ばず、ずっとバイトして150万円貯めて良かった。もし今まだ300万円の借金があったら、終わってますね。オワコンですよ。いくら利子が低いといっても、借りるもんじゃないですね。
運送会社の時は年収350万円、これじゃあ、実家で暮らさないと生活できなかったです。その前の東京で運転士をしていた時は年収430万円。給与は良くても、心身はボロボロでした。
小林 美希
ジャーナリスト