元通産省官僚・株式会社二十一世紀新社会システム研究所代表である、本田幸雄氏の著書『劇症型地球温暖化の危機 太陽光エネルギー革命で日本を再生する』より一部を抜粋・再編集し、日本人の創造性について見ていきます。
日本人は「模倣はできるが、創造性がない」と言われてしまう根本理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

日本より100年早かった…アメリカの「凄い点」

アメリカは1787年、アメリカ合衆国憲法第1章第8節には、「科学や有益な芸術を振興するため、著作権や発見に関して一定の期限、著作者や発明者に排他的権利を与える権限を議会は有する」と発明や著作物を保護することをうたっています。これを受けてアメリカに特許制度が設けられたのは1790年でした。やはり、日本より100年早かったのです。

 

憲法で創造性の尊重をうたっている国は、アメリカのほかにどこもないでしょう。このアメリカ合衆国憲法の草案を書いたのは、後に第3代大統領となるジェファーソンで、彼はすでにいくつかの特許を取っていましたから、創造性を重要視し、憲法にも書き込んだのです。

 

このように日本は欧米に大きく遅れていたので、明治以降は、まず、欧米に追いつけという時代であり、創造性を発揮するよりは欧米から技術や産業を導入することが急務でした。

 

欧米に早く追いつくには、その技術を模倣する方が経費もかからず、安易で、しかも確実でさえありました(もちろん、特許料は払ってのことですが)。ただひたすらその技術を取り入れ、がむしゃらに働けばよかったのです。

 

その後の日本産業の発展に最も貢献し、500もの企業の創設に関わった渋沢栄一も、もっぱら欧米の企業・産業のお手本があり、それの導入を奨励していたのです。そこには、ほとんど創造性を発揮する必要性はありませんでした(技術を日本に向くように改良することは日本人はうまいと言われてきました。ずっとやっていてそうなったのです)。

 

これがやがて、産業を起こすには創造性を発揮しなくてよい、発揮しなくても産業は起こせるという風潮を生んでしまいました。

 

 

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本田 幸雄

1942年、島根県生まれ。東京大学工学部機械工学科卒業。通産省入省、重工業局、資源エネルギー庁、工業技術院、(文部省出向)長岡技術科学大学教授、通産省機械情報産業局、中国通産局長。

 

通産省退職後、医療福祉研究所、(財)愛知国際博覧会協会などを経て、現在、(株)二十一世紀新社会システム研究所代表。

 

著書に『21世紀の社会システム』、『水田ハ地球ヲ救ウ』、『ベンチャービジネス成功への決定的条件』、『西暦2000年への選択』(監訳)、『地球白書』(監訳)、『21世紀地球システムの創造』(共著)など。