医局に入るも…社会人としての適性がないと判断される
2003年の日本。このころは、医学部を卒業するとほとんどの医師が、出身大学や他大学の診療科医局に入局するというキャリアが至極普通であった。このレールから外れると、周囲からは「ならず者」という扱いをされる風潮が残っていた。
男性のX医師は、関西地方のY大学医学部を卒業し、医師国家試験にも1回で合格。これからは輝く未来が待っていると信じて、出身大学であるY大学医学部の眼科学教室に入局した。
眼科を選んだ理由は、いささか消極的ではあった。内科は勉強することが多い、外科は拘束時間が長く体力が要る、小児科は救急外来対応の圧倒的な数と、自分が患者に性的犯罪を犯すのではないかという畏怖、産婦人科は女性への苦手意識……このような理由から、X医師には眼科への特別な熱意・思い入れがあるわけではなかった。
もっとも、これからはいち医局員として日本の医療に少しでも貢献したい、という気持ちはあったようだ。
この時期の研修医の給与は、国から5万円支給されるが、その一部をピンハネされ約半額の25,000円が支給されていた。休日のアルバイトは黙認されていたが、医師1年目では安全面の観点から基本はしないという風潮が、その医局内にはあった。
X医師の配置はY大学病院の病棟であり、至極普通のローテーションであった。研修を開始して3ヵ月。同期7人(X医師のほか、男性3人、女性4人)と比較され、特に自身の手の不器用さ、病棟業務の作業能率の低さが目についた。
先輩医師らは黙認していたが、患者さんへの接遇の悪さは病棟看護師から噂をされるほど、コミュニケーションに難があり、投書やクレームが相次いだ。
こうした様子について、病棟担当医長から医局長等のスタッフ医師に報告が上がり、X医師が夏季休暇に入る2日前、医局長に呼ばれた。
「君は、当診療科としての適性に限らず、医師として、社会人としての適性はないようだね。夏季休暇で、今後の人生設計など考えてみたらどうだ」と。
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