娘の言葉を聞いた母親は、急に半狂乱になってしまい…
幼稚園では、娘の頭にリボンの飾りをつけて通わせていたそうである。そのリボンを友だちがふざけて引っ張ったところはずれてしまい、娘は泣き出した。そのことを聞いた母親は、相手の子の謝罪を要求して幼稚園に怒鳴りこんだそうである。
むろん、幼稚園にも苦情を述べたようである。娘は幼心に、大変なことになってしまって自分の身の置き所がなかった、と当時を振り返っていた。
小学校低学年までは、お誕生日パーティーを開いていた。パーティーでは、娘にティアラを付けておめかしさせたり、ドレスを毎年作っていたそうである。パーティーへのお誘いが執拗だったようで、まず招待状のカードを手渡し、電話で出欠を聞き、さらに前日には出席の確認、欠席者には改めのお誘いを電話でするという念の入れようであった。
これについては母親本人も、あの頃は娘可愛さにのぼせてしまって皆さんにあきれられていたと思う、と述懐していた。
このようなかかわりでは、学校に上がるのも一苦労だったようで、小学校では親離れができず、遅刻早退が多かったとのこと。母親も、「いいのよ、いいのよ」と学校に積極的に行かせようとはしていなかった。
ところが、中学校への進学時に娘が学校へ行くのを大変不安がり、入学式の日に行きたくないと言ったところ、母親は急に半狂乱になって泣きわめき、学校へ行くように言ったのだという。
そのときから、お父さんに申し訳ない、と言い始めたようである。以来、娘の心にも、お父さんに申し訳ない、というフレーズが刷り込まれてしまったのではないだろうか。
医師の提案「自分として生きていきませんか」
娘のカウンセリングは、当然女性が担当するものだと母親は思っていたようだ。しかし娘の生気のなさを見て、初めのうちは問題の見極めが重要だから私が会いますと母親に言って、一人で母子並行面接を行った。
母親は躍起になって娘の面接の様子を知りたがり、また娘に、たくさん食べるように言ってください、お父さんに心配をかけないようにと言ってください、など毎回注文をつけていた。
私は、娘が元気になるには母親が変わる必要があると考え、娘は体調を理由に月に1回、母親は週に1回の面接とした。
まもなく母親面接では、子育ての苦労や右に挙げたようなエピソードが語られ、やがて、この子が可愛い、の裏側にある、この人の絶望や寂しさが語られるようになった。
その間娘は万引きもしたし、入院もしたが、カウンセリングは何とか続けることができた。カウンセリングで気持ちを聞いていく中で、
〈人間は、飢えの状態では、自分のことが何が何だかわからなくなる、自分の行動も何をしているのかわからなくなる。お母さんはだんだん変わろうとしているけれど、あなたはあなたとして、自分として生きていきませんか。まず自分の頭がよく働くように、最低限の栄養を取っていけるといいけれど〉
と告げた。娘は、自分一人では自信がないと述べて、自ら再入院して体調を整えることを選択した。