「初めから背負う」のではなく「最後は背負う」ということ
番組の企画であらゆるチャレンジを共にしてきたウド鈴木氏は、「チャンスを与えてくれるけど、やらせっ放しにはしない。最後は確実に引き受けてくれる人」と内村に感謝する。
「いろいろやらせてもらった中で、いわゆる最終的な責任とか大きなものは、内村さんが引き受けてくださるわけですよね。何があっても。もちろん南原さんもそうなんですけど、ウンナンさんが。だから僕らもガムシャラにできるわけです」(ウド鈴木氏)
相手に自由を与えながら、最後は自分でケリをつける内村のこのスタイルはタレントとして出演する場以外でも同様だという。内村が執筆した小説『ふたたび蝉の声』で編集者として向き合った小学館・星野博規氏はこう述べる。
「打ち合わせ段階で、いろいろ意見を求められたのですが、最初はこちらも遠慮して言えないわけです。下手なことを言ってしまい、作品に影響が出たらまずいなとか想像して。でも、お話を重ねていくうちに『この方は最終的にご自身で決められるんだ』『自身の判断で責任まで背負う覚悟があるんだ』ということに気づいたんですね。
そこからは、僕らも全部、自分の思っていることをぶつけてみようとなりました。自信があることもないことも、自分の全部を出せたのは、内村さんのそうした姿勢があったからこそだと思っています」
ここで重要なポイントは、リーダーが「初めから背負う」のではなく、「最後は背負う」ということ。
すなわちリーダーが1から10まで責任を負ってチームの動きを管理・統率するのではなく、まず部下や後輩たちを「放牧」し、大きな裁量を与え、彼らのパフォーマンスを十二分に引き出す。そして最終的な段階で、その部下のパフォーマンスを「成果」へとつなげるためにリーダー自身が調整・提案を加える。
部下や後輩のパフォーマンスを十分に発揮させるためには、この「安心のある自由」をチームの空気内に作り出すことだ。
安心のある自由の中だからこそ、若いチームメンバーは気負いせずにのびのびと「チャレンジ」ができるのであり、その結果としてパフォーマンスが120%引き出される。
ここまで読んで、「最後は自分が背負う」気概はあるものの、それだけの実力が自身に伴っているか不安を覚えるリーダーもいることだろう。
しかし筆者が伝えたいのは、リーダーが必ずしも「成功」を担保する必要があるのではなく、求められているのは「責任を背負う」という“その姿勢”である。
内村が番組やコントにおいてそうであるように、放牧した仲間たちと進めたプロジェクトを、リーダーが「完全なる成功」に導くに越したことはない。そのための努力はリーダーの役目。
しかし肝要なのは、たとえ失敗したとしても「その結果ごと背負う」ことであり、必要なのは能力でも経験でも勇気でもなく、リーダーとしての「覚悟」だ。
もし上司であるあなたが、最後は背負ってくれると確信できていれば、部下たちは安心して高いパフォーマンスを発揮できるに違いない。
畑中 翔太
博報堂ケトルクリエイティブディレクター/プロデューサー