都営住宅、「桐ヶ丘団地」。建替えにより、住民たちは移転を余儀なくされてきました。移転による地域コミュニティの崩壊と孤立が及ぼす、高齢者へのさまざまな悪影響について、文化人類学博士の朴承賢氏が解説します。※本連載は、書籍『老いゆく団地』(森話社)より一部を抜粋・再編集したものです。
「皆泣くのよ」都営団地の建替えで…引っ越していく高齢者たちの悲惨 桐ヶ谷団地新築号棟(撮影年月:2017年7月 撮影者:朴承賢)

「老人は存在するために所有する」の真意

建替えは、団地の社会的関係の変化だけではなく、当然のことながら、居住環境の物質的変化をもたらした。そして、この物質的な変化は社会的関係の変化に加えて、住民たちの日常的な行動に大きな影響を与えた。

 

「建替えで団地が完全に変わった」という表現は、文字どおり団地の風景が完全に変わったこと、長い間暮らしてきた場所におけるヒトとモノとの交渉[今和次郎:1945]が断ち切られ、その場所が自分自身に見知らぬ世界として経験されていることを意味する。住民たちは「目をつぶってもさっとわかる慣れ親んだ空間」や、「長い間その場にあったモノ」との別れをかなり残念に思っている様子であった。

 

住民たちは、「狭くなるから家にあるモノを全部捨てたり、処分して引っ越しするのよ」と語った。1DKへと引っ越す住民は、「家族時代」からのモノを片付けなければならないのだ。

 

ジョン・ジンウン[2012:171-182]は、「シルバータウン」の高齢者たちが時間を貫く自己アイデンティティを維持する方法として、彼らが個人史的な意味を持つモノを大事にすること、自分の家をアイデンティティを表すモノで飾ったりすることに着目する。

 

そして、自己アイデンティティがどれほど周りのモノや人物に依存しているのかを指摘し、モノを「自我の鏡」と表現する。私的空間が私たちに与える安定感や持続性は、この空間を構成するモノのおかげである。住民たちが引っ越しはいやだと言うのは、モノの全面的な再配置への抵抗でもあるのだ。

 

ボーヴォワール[2002:652-656]は、住む場所を移すこととは、慣れ親しんだ物事に溢れた現在との断絶を意味し、いかなる形であったとしてもそれは年寄りに「死」をもたらすと、習慣や所有物が与える存在論的安心感を強調する。サルトルの『存在と無』を引用して「老人は存在するために所有する」とまで書くのだ。それは、1DKへ引っ越しをする女性住民との対話でも目立つものであった。

 

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若者たちは大丈夫だろうし、男性はそうでもないが、女は違う。でも、部屋が狭くなるから、全部捨てないと。どうせ捨てるものだから捨てるしかない。お皿も着物も全部。でも、皆泣くのよ。捨てたくないものも捨てなきゃならないから。捨てられずにやっと寝るスペースだけが残ったとも聞いた。一人でも部屋二つくらいは必要よ。積み重なってきたものが多いから。(2010年7月、ふれあい館にて、カラオケ会メンバー3人へのインタビュー)

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(撮影年月:2017年7月 撮影者:朴承賢)
桐ヶ谷団地新築号棟 (撮影年月:2017年7月 撮影者:朴承賢)

 

『ひとり誰にも看取られず』[NHKスペシャル取材班・佐々木2007]や『団地が死んでいく』[大山2008]では、団地の高齢化によるコミュニティ崩壊の深刻さを報告し、建替え計画に反対し、孤独死対策に取り組んでいる千葉県松戸市の常盤台団地が取材される。そして、「古くても、狭くても、段差があっても、目をつぶってどこに何があるか身体で覚える」ほど慣れ親しんでいる環境への、住民たちの愛着に注目している。建替えをめぐるさまざまな葛藤は桐ヶ丘団地のみの問題ではないのだ。

 

建替えや移転が招く諸問題にもかかわらず、建物の老朽化もあり「建替え反対」と簡単には言えない。2012年3月のインタビューでAさんは、「増築されて今は3DKとなって、トイレも新しくなったので、壊すのはもったいないし、引っ越したくない」と語った。

 

しかし、2012年の秋、彼は倒れて、入院することになった。退院したが、車いすが必要となり、エレベーター付きの新築号棟へ引っ越さなければならなかった。「隣り近所と離れるのはいやだから建替えを望んでいない」と語ったE地区の女性住民も、夫が車いすを使うことになり、「馴染みのない」新築の号棟へと引っ越すことになった。

 

住民たちは「この歳で引っ越したくない」と話すが、高齢の住民たちに迫ってくる状況はさらに厳しいものになっているのだ。

 

 

参考文献

今和次郎 1945 『住生活』 乾元社

ジョン・ジンウン(정진웅) 2012 『노년의 문화인류학(老年の文化人類学)』한울아카데미

Beauvoir Simone de 2002 『노년』 홍상희・박혜영(역)、책세상(1970 La vieillesse.Gallimard.)

NHKスペシャル取材班・佐々木とく子 2007 『ひとり誰にも看取られず――激増する孤独死とその防止策』 阪急コミュニケーションズ

大山眞人 2008 『ひとり誰にも看取られず』 平凡社

 

 

朴承賢

啓明大学国際地域学部日本学専攻助教授