「12万円が限界なんだよ」のはずが…バックパッカーの憂鬱
この企画を発案した森啓次郎氏はすでに配属が変わっていた。ときどき、僕らが座るフリーランス席に顔を出し、「あい変わらず、ビンボーな旅、やってるね。ヒッフッフッフッ」と意味不明の笑い声で励ましてはくれたが、企画がはじまる前、「『週刊朝日』のグラビアページは予算が少ないから、12万円が限界なんだよ」と説明していた。あれは方便だったのか。
なんの問題もなく北極圏ルートに決まっていった。築地の朝日新聞社を出、地下鉄の東銀座駅まで歩きながら、ひとり呟いていた。
「そういうことか……」
連載が好評なら、使うことができる予算も増えていく。あたり前のことだったが、この企画は、端(はな)から「12万円まで」と使うことができる金額が決められていた。それを動かすこともできるのだ。
バックパッカー旅ばかり続けていた僕は、その世界に居心地の悪さも感じはじめていた。フリーランスのライターなのだから、連載の評判がいいことは手応えのあることだった。しかしこの旅を続ければ続けるほど、ある種の喪失感が顔をのぞかせはじめていた。夜行バスのなかで、頭を窓につけるようにして、街灯に照らしだされる屋台を見ながら思うのだ。
僕は自分の旅を仕事に売ってしまったのかもしれない……と。いや、それは贅沢な悩みだと、少しずつ育つ喪失感を否定する自分がいる。金を使い果たして帰国した不埒(ふらち)なフリーランスのライターが、旅をして原稿料をもらえるだけで、幸運なことなのだと……。しかしいくらそう説き伏せても、旅と仕事の隙間は埋まらなかった。
30年前の北極圏への旅は、結局、24万円もかかってしまった。