飛行機代、宿代、食事代…旅にかかる費用すべてを含めて「12万円」で世界を歩く。下川裕治氏の著書『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日新聞出版)では、その仰天企画の全貌が明かされている。本連載で紹介するのは北極圏編。30年ぶり2度目の大自然、予想だにしないアクシデントが待っていた!
過酷「日本から北極圏まで12万円の旅」どうにでもしてくれ…の多難 (※写真はイメージです/PIXTA)

「12万円が限界なんだよ」のはずが…バックパッカーの憂鬱

この企画を発案した森啓次郎氏はすでに配属が変わっていた。ときどき、僕らが座るフリーランス席に顔を出し、「あい変わらず、ビンボーな旅、やってるね。ヒッフッフッフッ」と意味不明の笑い声で励ましてはくれたが、企画がはじまる前、「『週刊朝日』のグラビアページは予算が少ないから、12万円が限界なんだよ」と説明していた。あれは方便だったのか。

 

なんの問題もなく北極圏ルートに決まっていった。築地の朝日新聞社を出、地下鉄の東銀座駅まで歩きながら、ひとり呟いていた。

 

「そういうことか……」

 

連載が好評なら、使うことができる予算も増えていく。あたり前のことだったが、この企画は、端(はな)から「12万円まで」と使うことができる金額が決められていた。それを動かすこともできるのだ。

 

バックパッカー旅ばかり続けていた僕は、その世界に居心地の悪さも感じはじめていた。フリーランスのライターなのだから、連載の評判がいいことは手応えのあることだった。しかしこの旅を続ければ続けるほど、ある種の喪失感が顔をのぞかせはじめていた。夜行バスのなかで、頭を窓につけるようにして、街灯に照らしだされる屋台を見ながら思うのだ。

 

僕は自分の旅を仕事に売ってしまったのかもしれない……と。いや、それは贅沢な悩みだと、少しずつ育つ喪失感を否定する自分がいる。金を使い果たして帰国した不埒(ふらち)なフリーランスのライターが、旅をして原稿料をもらえるだけで、幸運なことなのだと……。しかしいくらそう説き伏せても、旅と仕事の隙間は埋まらなかった。

 

30年前の北極圏への旅は、結局、24万円もかかってしまった。