飛行機代、宿代、食事代…旅にかかる費用すべてを含めて「12万円」で世界を歩く。下川裕治氏の著書『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日新聞出版)では、その仰天企画の全貌が明かされている。本連載で紹介するのは北極圏編。30年ぶり2度目の大自然にはなにが待ち受けているのか!?
「予算12万円で北極圏へ」人が去った寂しい街…30年間で大変化のワケ (※写真はイメージです/PIXTA)

ゴールドラッシュがつくりあげた「ドーソン・シティ」

カナダのドーソン・シティに着いたのは夕方の6時近くだった。

 

30年前、少しの時間だが、この街を訪ねていた。廃墟だった。木造の建物のいくつかは大きく傾いていた。屋根が落ちてしまった建物もいくつかあった。

 

ドーソン・シティは、ゴールドラッシュがつくりあげた街だった。街のインフォメーションセンターでもらった資料によると、1898年の人口は3万人に達している。

 

ゴールドラッシュがはじまったのは1896年だった。クロンダイク・ゴールドラッシュと呼ばれている。ユーコン川の支流であるクロンダイク川で、大量の金がみつかったのだ。

 

僕らはドーソン・シティの手前で、このクロンダイク川に出合っていた。道の両側が広い川原のように大小さまざまな石で埋めつくされていた。日本や台湾の川の河口近くでよく目にする広い川原に似ていた。険しい山から流れくだる川が運んできた石が堆積していくのだ。

 

しかしカナダ北部の地形は違っていた。丘陵地帯の間を、川がゆっくり流れていく。これまで目にしてきたユーコン川やその支流のペリー川、スチュワート川……どれもそうだった。川原はあっても狭かった。ところがクロンダイク川は……。

 

途中に案内板があった。そこは金を発掘した跡だったのだ。当時の写真も案内板に掲げてあった。クロンダイク川から採掘した土砂をトロッコやベルトコンベヤーで運び、水をかけ、そのなかから金をみつけていく。トロッコを運ぶ線路まで敷かれていた。

 

アメリカ西海岸からやってきた男たちが多かったという。金を求めて、ユーコン川を遡ってきたわけだ。彼らはクロンダイク川を徹底的に掘り起こしていった。ドーソン・シティの記録では、人口が3万人となっているが、実際は10万人を超えていたという話もある。

 

この土地は、もともと先住民が魚や動物を捕るための小屋がある程度だったという。そこに、人間の欲が乗り込んできたわけだ。ドーソン・シティのある場所は、クロンダイク川がユーコン川に合流する地点である。ゴールドラッシュを支える地の利を得ていた。ここから採掘した金は、2兆カナダドルにも達したという。日本円にすると194兆円である。

 

しかしその後、ゴールドラッシュはアラスカに移っていく。ドーソン・シティの人口は一気に減っていく。1971年には762人にまで減ってしまった。僕らが訪ねた30年前、つまり1989年の記録はないが、1986年の人口は896人である。30年前は900人程度が暮らす街ではなかったかと思う。

 

人が去った採掘の街は切ない。日本の九州や北海道に残る炭住の跡を歩いたとき、松尾芭蕉が詠んだ、“夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡”という句を思い出したものだった。30年前のドーソン・シティは、そんな寂寞とした空気に包まれていた。