飛行機代、宿代、食事代…旅にかかる費用すべてを含めて「12万円」で世界を歩く。下川裕治氏の著書『12万円で世界を歩くリターンズ タイ・北極圏・長江・サハリン編』(朝日新聞出版)では、その仰天企画の全貌が明かされている。本連載で紹介するのは北極圏編。30年ぶり2度目の大自然、予想だにしないアクシデントが待っていた!
過酷「日本から北極圏まで12万円の旅」どうにでもしてくれ…の多難 (※写真はイメージです/PIXTA)

結局、日本から北極圏へ向かう道のりは…

東京からバンクーバーに向かうことにした。北京経由の中国国際航空がいちばん安く、往復で7万9942円だった。

 

続いてバンクーバーからホワイトホースまでのグレイハウンドを見てみた。30年前、このルートをバスで走り抜けた。味わい深い道のりだった。夜、乗り込んできたインディアンのおじさんの体からは、酒と焚火(たきび)のにおいがした。バス停近くの小屋で、仲間たちと酒を飲んでいたようだった。

 

北上するにつれ、白人の割合が減っていった。この道はアラスカ・ハイウェーと呼ばれていた。建設がはじまったのは第2次世界大戦中の1942年だった。アメリカとカナダは、日本を警戒していた。アラスカの先にあるアリューシャン列島まで、日本軍は勢力をのばそうとしていたからだ。日本軍はアラスカまで攻め込んでくる可能性すらあった。日本軍の勢いが、アラスカ・ハイウェー建設に走らせたわけだ。

 

バンクーバーから北上する道は、北極圏に近づく道でもあったが、日本に近づくルートでもあったのだ。この道路建設に駆りだされたのは、焚火のにおいをまとったインディアンたちだった。

 

しかしいくらネットを検索しても、バンクーバーからホワイトホースに向かうバスはヒットしなかった。そこでわかったのは、2018年の10月、グレイハウンド・カナダは、カナダ西部のほぼ全路線から撤退したことだった。

 

車と空路の発達は、グレイハウンドの経営を脅かしていた。しかしアメリカでは、運賃の値あげや減便、アメリパスの廃止などの対応策を繰り返し、なんとか生きのびていた。しかしカナダ西部では撤退まで追い込まれていたのだ。

 

報道のなかには、公共交通の意味を問うものが多かった。ホワイトホース方面は、インディアンをはじめとする先住民族の割合が多くなる。車の所有率の低い彼らが移動の足を失うという指摘だった。貧しい白人層の話も紹介されていた。都市に出稼ぎに出たひとりは、アラスカ・ハイウェーの道端に立っていた。ヒッチハイクで家族のいる街に戻ろうとしていたのだ。

 

『12万円で世界を歩く』は、そのエリアに暮らす庶民と一緒にバスや列車に乗る旅だった。カナダの先住民族や貧しい白人同様、僕らも困った。

 

ネットの情報によると、代替手段として、バンクーバー近くから海岸に沿ってホワイトホース近くまで北上する船が紹介されていた。しかしそのサイトを見てみると、海岸美を楽しむツアー船の色あいが強かった。中国人が好みそうなコースだった。グレイハウンドのバスの代わりというには、運賃も高かった。

 

ホワイトホースまで安く向かう方法――。飛行機しかなかった。もうそういう時代らしい。エア・ノースというカナダの航空会社が、バンクーバーとホワイトホースの間を、往復3万3790円でつないでいた。

 

めぐり、めぐり、結局、日本からホワイトホースまでバンクーバーを経由して飛行機で向かうことになった。これしか方法がなかった。30年前、北極圏オプションになった区間を、陸路で北上することになってしまった。

 

 

下川 裕治

旅行作家