全社員の底力を引き出す、リッツ・カールトンのしくみ
「戦わずして勝つために、知恵を総動員させる。」
――誰も傷つけずに成果を上げる 戦略とは本来そういうもの(長養院にて)
【戦略とは本来「誰も傷つけずに成果を上げる」もの】
経営者でなくとも、おそらくビジネスマンであれば、誰もが1度は手にとるのが『孫子』ではないでしょうか。海外でも『The Art of War』というタイトルで翻訳され、多くの経営者に影響を与えています。
『孫子』で代表的なのが「敵を知り己を知れば百戦危うからず」でしょう。自社のこともライバルのことも熟知していれば、戦いに敗れることはないという意味です。
かつて私が働いていたリッツ・カールトンでも、本社のリーダーたちは『孫子』を熟読していました。だから最高の戦略思考とは、ライバルを倒すことではなく、戦わないことであると理解していたのです。
戦略とは“戦いを略す”と書きます。だから、戦わずして勝つにはどうするかを徹底的に考えぬきました。そして全ての社員に高いスペックで働いてもらうために、7つの仕事の基本をつくったのです。
“働く誇りと喜びの創造”
“考えるな、感じよ!”
“楽しんでこそ仕事”
“お祝いを大切にする”
“優しさはプロの必須条件”
“情熱が組織を動かす”
“お客様の願望は即解決”
加えて、全社員に、2000ドルの決裁権も与えました。これらは全て、社員が主体的に動くことができるようにするための仕組みであり、成長を促すための手段でもあるのです。
つまるところ、人も組織も動かすものではなく、動くものであるからなのです。
「自分から動きたい!」と思うようになる2つの原動力
「リーダーシップとは、人を勇気づけ、成長させるものです。」
――優れたリーダーの言葉には言霊が宿っているものだ(常智院にて)
【リッツ・カールトン2代目社長、クーパー氏の教え】
「私は、穏やかな海では優秀な船乗りは育たないことを知っている。今、我々の目の前には、大きな荒波が押し寄せている。これを乗りきってこそ、リッツ・カールトンのスタッフは大きく成長できるのだ。これは我々にとって好機なのだ」
2008年12月。リーマンショック後に開かれたリーダー会議の席上で、2代目社長であるクーパー氏が発したコメントでした。
悲観的になっていたリーダーたちが、この言葉にどれほど勇気づけられたことか。その後、かつてないレベルでお互いにアイデアを出し合い、知恵を絞り、わずかの間に業績を回復させていったのです。解雇することもなく、奇跡的ともいえる快挙でした。
「人も組織も動かすものではなく、動くものである」。これは自己啓発セミナーなどでもよく聞く言葉です。
では自分が動きたくなる原動力とは何か。それは、圧倒的なレベルでの相互依存と信頼に裏打ちされた人間関係ではないでしょうか。そしてそれを確認し合うのが言葉による対話です。
クーパー氏のように、そこにどれだけの言霊をこめることができるか。まさに人間力が試される瞬間です。
仲間との「共感・共鳴」がハイレベルな相互依存を生む
「チームワークは、共感と共鳴が起きた時生まれるのです。」
――会社のビジョンは北極星のようなもの
組織のミッションは働く糧となるもの(常住院にて)
【会社のビジョンとミッションは共有できていますか?】
多くの会社は、創業期の理念に基づいて経営がなされています。それらは『社是』や『心得』、『経営指針』などのかたちで、職場の壁に掲げられていたりします。
例えばそれは“社会に貢献できる企業を目指すこと”であったり、“お客様のニーズを最優先すること”であったり。
では、それらの理念は経営者と同じレベルで、幹部や現場の社員に共有されているでしょうか。会社のビジョン、あるいは志は、海原を進む船にとっての北極星のようなもの。高いところで輝き、常に自分たちの進むべき道を示してくれます。だから船長も船員も安心して同じ方向に船を進めることができます。
会社の経営も同じですね。目指すべきビジョンが見えているからこそ、経営者と社員が一丸となって働くことができるわけです。
すると次に、なぜそのビジョンに向かうのかというミッション、つまり使命が見えてきます。ビジョン達成はなんのためなのか。使命とは読んで字のごとく、命をどう使うのかということです。
その使命感が共有され、共感が生まれ、心の深いところで共鳴が起きた時、組織として大きな力を発揮するものです。
リッツ・カールトンではその共鳴する力を“チームワーク”と呼んでいました。みんなの心が寄り添って、ハイレベルの相互依存が生まれる瞬間でもあるのです。
人材育成に求められる「心構え」は世界共通
「人を育てるのは、愛と勇気と熱意、そして忍耐です。」
――任せる勇気と覚悟 待つ忍耐と愛情(世尊院にて)
【ホルスト・シュルツィ氏と山本五十六の共通点】
日本初のリッツ・カールトンの開業を視野に入れ、20年間住み慣れたアメリカを離れて日本に戻る時、社長(当時)のホルスト・シュルツィ氏にアポを取ってお会いしました。どうしてもお聞きしたいことがあったからです。
それは、彼が考えるリーダー論、特に人を育てる時の心構えでした。その直球の質問に彼は、「リーダーの条件、それは愛と勇気とパッション、そして忍耐強く人と向き合う姿勢を崩さないことだ」と答えてくれました。
愛は、人を慈愛で受けいれ、認めること、勇気は、覚悟を決めて決断する力、パッションは、文字どおり熱い思い、そして忍耐は、人を信じて待つ力のことです。それらの言葉を胸に、日本での仕事をスタートさせたのです。
この、人を育てる感性は決して西洋独自の考え方ではありません。あの山本五十六の残した言葉にもそれを強く感じます。次の1文をご存知の方も多いのではないでしょうか。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず」。
洋の東西を問わず、リーダーが人を育てる時の視点と視座は同じなのですね。そこにもまた人としてぶれない重力、深い愛情とホスピタリティを感じずにはいられません。
高野 登
善光寺寺子屋 百年塾 塾長
人とホスピタリティ研究所 代表
元リッツ・カールトン日本支社長