国学や蘭学が大成した時代…活躍した学者たち
<化政文化の学者>
●本居宣長(もとおりのりなが)
松坂(今の松阪、伊勢・三重県)出身の医者。日本の古い書物を研究し、日本人本来のものの考え方を明らかにする国学を大成する。代表的な作品に『古事記伝(こじきでん)』がある。
●杉田玄白(すぎたげんぱく)、前野良沢(まえのりょうたく)
ドイツ医学書のオランダ語版『ターヘル=アナトミア』を翻訳した『解体新書(かいたいしんしょ)』を出版。その苦労は、『蘭学事始(らんがくことはじめ)』に書かれている。
●伊能忠敬(いのうただたか)
佐原(下総・千葉県)出身の商人。蝦夷地をはじめ、日本各地を調査・測量し、『大日本沿海輿地全図(だいにほんえんかいよちぜんず)』という正確な地図を完成させた。
●シーボルト
ドイツ人医師。長崎に鳴滝塾(なるたきじゅく)をつくる。日本地図を持ち出そうとしたとして、国外追放となる。
図表6は、『解体新書(かいたいしんしょ)』の表紙です。杉田玄白(図表7)や前野良沢たちが、医学書に書くにあたって、どうしても実際の人体を見たいと思いました。でも、いきなり「ちょっと体の中をのぞかせてもらえませんか?」なんて頼むわけにはいきませんね。
当時は麻酔もないのですから、生きている人の体の中を見ることは不可能でした。となれば、死体しかないのですが、勝手に人の死体を解剖していいはずがありません。そこで、幕府の役人にお願いして死刑になった人の体を解剖させてもらうことになりました。
杉田玄白は、文部科学省の学習指導要領にも記載されている人物であり、入試によく出題されています。
それまでの医学と言えば、「病気は悪い霊が乗り移ったから起こったのだ。おはらいをすれば治る」というような考え方でした。
少し復習をしておきましょう。奈良時代に大仏をつくったのは何天皇でしたか?
答えは――聖武天皇です。「伝染病やききんによって人々が不安になっていたので、仏の力でそれを抑えようとした」のですね。
では、もう少しさかのぼって、飛鳥時代に天武天皇が奥さん(後の持統天皇)の病気が治るよう祈ってつくった寺の名前は?
――薬師寺です。覚えているかな? そうやって、病気は仏の力で治すという考え方が一般的でした。「そんなのおかしい」と思うかもしれないけれど、自分の力ではどうしようもないことに対して「祈る」という行為は現代でもありますよね。
図表8は、伊能忠敬の大日本沿海輿地全図です。海岸線もていねいに描かれています。今の地図とほとんど同じ地形を描くことができています。これを現代のような機械なしで、自分の足で丹念に調べていったのだからすごいですね! しかも、56歳から始めて60代70代でも続けているなんて…。頭が下がります。
図表9のシーボルトは、ドイツ人です。
「あれっ?」と思った人はいるでしょうか。「ドイツ人なのに、どうして日本に来ているの?」。そう思った人はいいセンスをしています。だって、鎖国中の日本が付き合いをしていたヨーロッパの国は、オランダだけだったはずだからです。
シーボルトはどうしても日本に行ってみたかったので、オランダに渡り、そしてオランダ人だと嘘をついて日本にやってきたのです。日本人から見ると、オランダ人とドイツ人の違いなんて、なかなかわからないですからね。
シーボルトは念願の日本に来ることができました。鳴滝塾を開いて、医学や蘭学を教えました。日本人の妻もできて、子どもまで生まれました。ところが、シーボルトは日本地図を国外に持ち出そうとして、追放されます。もちろん、妻と子を連れて行くことはできません。シーボルトはスパイだと思われたのです。
また江戸時代は、民衆に文化が広まったり、農書の必要性が高まったりして、庶民は字を読めるようになりたいという気持ちが強くありました。そういうニーズに応えていたのが寺子屋(てらこや)です。ここで、子どもたちは「読み・書き・そろばん」を習いました。
松本 亘正
中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表
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