「濁りのある政治」が一転、厳しい「寛政の改革」へ
18世紀後半に老中(ろうじゅう)・【⑪田沼意次(たぬまおきつぐ)】は、商工業者に同業者組合である【⑫株仲間(かぶなかま)】をつくることをすすめました。そして彼らに特権を与え、有利になるようにしてあげることで、税を取り立てたのです。これによって景気がよくなり、経済が発展しました。
ところが、天明(てんめい)の大ききんや浅間山(あさまやま)の大噴火によって食糧難が起き、江戸では商人の店や家を破壊する打ちこわしが起きました。さらに、商人からワイロをもらっている役人がいるのではないかという疑惑が発覚し、批判を受けた【⑪】は失脚してしまいます。
1787年、白河藩主(しらかわはんしゅ)から老中となった【⑬松平定信(まつだいらさだのぶ)】は、祖父である徳川吉宗にならって質素・倹約を命じました。つまり、「ぜいたくはするな」ということです。
大名にはききんに備えて米を蓄えさせる囲米(かこいまい)の制を出し、幕府の学校では朱子学(しゅしがく)以外の学問を禁じました(寛政異学〔かんせいいがく〕の禁)。
【⑬】は蘭学を認めず、『海国兵談(かいこくへいだん)』の著者であり幕府の鎖国(さこく)政策を批判した林子平(はやししへい)を罰しました。
<⑪~⑬の解答> ※PCの場合、上記【 】の中をマウスでドラッグ。
⑪田沼意次(たぬまおきつぐ)
⑫株仲間(かぶなかま)
⑬松平定信(まつだいらさだのぶ)
あまりに厳しい「寛政の改革」に批判続出
「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶというて 夜も寝られず」
「白河の 清きに魚の 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき」
これらは江戸時代の狂歌(きょうか)です。狂歌というのは、五・七・五・七・七の短歌の形でつくられ、社会を皮肉った歌のことです。
まずひとつ目の歌から見ていきましょう。「世の中に 蚊ほどうるさき ものはなし ぶんぶというて 夜も寝られず」という歌は一見、蚊の話をしているように見えます。
しかし、「蚊ほど」を「かほど(これほど)」とし、「ぶんぶ」を「(文武両道の)文武」とすれば寛政の改革批判になるのです。定信は、文武両道だとか言ってうるさいんだよ、厳しい政治ばかりだし、本当に迷惑なやつだよな…と。
これってすごいと思いませんか? 一見、違う話をしているようで、思いっきり寛政の改革を批判しているわけです。もし、「お前幕府を批判しただろ!」と問いつめられても、「えっ、私は蚊がぶんぶんうるさくていやだな~と思ったから書いただけですよ」と言えばよいのです。
次の歌はどうでしょうか。「白河の 清きに魚の 住みかねて 元の濁りの 田沼恋しき」という歌は、もちろん魚の話ではありません。
白河藩主である松平定信の政治は厳しすぎるから、にごり(ワイロ)があったとしても、田沼意次のときのほうがよかったなぁという歌です。なかなかストレートに、寛政の改革を批判していますよね。
ちなみに、これらの狂歌、誰が歌ったものかわかっていません。当然といえば当然ですね。わかっていたら、きっと処分されていたでしょうから。歌った人も自分だって明かさなかったのでしょう。
1841年、老中の水野忠邦(みずのただくに)は天保(てんぽう)の改革を行います。田沼意次が積極的に認めていた株仲間を解散させ、特権をなくすことで自由な商売をすすめましたが、あまり効果はありませんでした。
田沼の政治を入れると、次のような順番でした。
徳川吉宗(享保の改革)→田沼意次の政治→松平定信(寛政の改革)→水野忠邦(天保の改革)
覚え方は「今日、田沼寒天(カンテン)食べた」。
今日=享保の改革、田沼=田沼意次の政治、カンテン=寛政の改革・天保の改革、というわけです。順番を間違えないように覚えてしまいましょう。
松本 亘正
中学受験専門塾ジーニアス運営会社代表
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