実践的基礎知識 金融/経済史編(8)<バブル景気②>

ピクテ投信投資顧問株式会社が、実践的な投資の基礎知識を初心者にもわかりやすく解説します。※本連載は、ピクテ投信投資顧問株式会社が提供するコラムを転載したものです。

 

バブル景気その2(1985年〜1990年)

 

前回のバブル景気①では景気回復の序章となる「レーガノミクス」から「プラザ合意」その後に起きた「ブラックマンデー」までをお伝えいたしました。今回はわが国のバブル形成から崩壊の始まりを見ていくとともに、目を世界に転じ、第二次世界大戦後に生じた東西冷戦の終結についても触れることにいたします。

バブルの形成

1985年のプラザ合意を契機に深刻化した円高不況から脱却するため、政府と日本銀行はいくつかの政策を導入しました。まず、日本銀行が当時5%であった公定歩合を2.5%まで段階的に引き下げる金融緩和策を実施し、低金利政策によって民間企業の投資を促しました。さらに法人税と個人所得税を減税して消費を喚起し、投資と消費両面からの内需拡大策を採りました。日本は恒常的な貿易黒字を背景に、過剰流動性と呼ばれる金余りの状況でした。そこに低金利と減税による資金が追加されて、不動産市場や株式市場に流れ込み、資産価格がうなぎ上りに上昇していきました。これがバブルの形成につながっていきました。

 

また、企業の資金調達が、間接金融である銀行融資メインから直接金融である株式・債券発行メインへと移行したことも、世の中の金余りに拍車を掛けました。代表的な例が米ドル建てやスイス・フラン建てで発行されたワラント債(新株予約権付社債)でした。企業は、ワラント債などで調達した資金を本業ではなく、営業特金(特定金銭信託)やファンドトラストを使って運用に回しました。これがいわゆる「財テク」と呼ばれたもので、証券会社や信託銀行が運用を担当して、主として株式市場等で運用し、(当時も違法だった)運用利回り保証や損をした場合の損失補てんの約束が横行していました。一方、不動産市場にもお金が流れ込み、土地の値段は下がらないという土地神話が生まれ、山の手線内の土地の価格でアメリカ全土が買えるといった何の根拠も無い俗説がまかり通りました。バブル景気時に、日経平均株価は1989年12月に38,915円の最高値を記録し、またこの期間に東京都の商業地の地価は数倍に上昇しました。

バブル崩壊の始まり

1990年に入って、それまで上昇を続けていた日本株が下落を始めました。1990年3月に大蔵省(当時)は、「土地関連融資の抑制について(総量規制)」という行政指導を行い、金融機関の不動産向け融資を制限しました。また日本銀行は、1989年5月から利上げを行い、2.5%だった公定歩合は6%まで引き上げられました。このような金融引き締めの結果、日経平均株価は1990年10月に20,000円台すれすれまで下落しました。地価も同様に1990年の後半から下落に転じ、1993年の全国の商業地の地価は2ケタの下落となりました。このように、1990年からバブルの崩壊が始まりました。

 

日本がバブル経済を謳歌した
[図表1]タイムズ・スクエアにあふれる日本企業の看板 日本がバブル経済を謳歌した
史上最高値をつけた日本の株式市場
[図表2]1989年 バブル景気 史上最高値をつけた日本の株式市場

冷戦とは

冷戦とは、第二次世界大戦後に世界を二分したアメリカを盟主とする自由主義陣営と、ソ連(当時)が率いる共産主義陣営の対立構造のことです。アメリカ側を西側、ソ連側を東側と呼ぶこともあり、東西冷戦と言うことがあります。この冷戦は1945年から1989年まで44年間続き、アメリカとソ連が直接対戦することはなかったものの、朝鮮戦争、ベトナム戦争など両大国の代理戦争は起こりました。冷戦の発端は、1945年の2月のヤルタ会談にあるといわれています。この会議にアメリカ、イギリス、ソ連が参加して、ドイツ敗戦後のヨーロッパの米ソの利害を調整し、ヤルタ体制という戦後の枠組みを決めました。ドイツはドイツ民主共和国(東独)とドイツ連邦共和国(西独)に分割され、首都ベルリンもソ連管理の東ベルリンと米英仏管理の西ベルリンにそれぞれ分断されました。東西ベルリンの往来は自由でしたが、1961年8月に突然東独が壁を建設して自由な通行が断絶されました。

冷戦終結

この冷戦構造が終焉を迎えるきっかけになったのが、1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフでした。改革(ペレストロイカ)と新思考外交を掲げて、国内体制の改革と西側諸国との関係改善に乗り出しました。アフガニスタン侵攻以降、ソ連は膨れ上がった軍事費のため国家財政が危機的状況にあり、東側諸国全体への支援も立ちいかなくなりました。当時のアメリカはレーガン大統領政権で、双子の赤字を抱えながら「悪の大国」ソ連を打ち砕くために強いアメリカを目指していました。ゴルバチョフ書記長は、アフガニスタンから撤退し、キューバへの軍事援助を大幅削減し、一方的に核軍縮を進めました。

 

こういったソ連の動きを受けて、東欧諸国の民主化が進みました。1989年になって、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアで相次いで共産党政権が倒れ、民主主義政権へ移行しました。そして、1989年11月9日ベルリンの壁が崩壊し、翌1990年に東西ドイツの統一が実現しました。このような民主化の流れから、1989年12月に地中海のマルタ島でゴルバチョフ書記長とアメリカのブッシュ大統領が首脳会談を開き、冷戦の終結が宣言されました。

 

ベルリンの壁を打ち壊す⺠衆
[図表3]1989年冷戦終結 ベルリンの壁を打ち壊す⺠衆

 

月次、期間:1985年~1990年 出所:内閣府、日本銀行、ブルームバーグのデータを使用してピクテ投信投資顧問が作成
[図表4]米ドル/円レートの推移 月次、期間:1985年~1990年
出所:内閣府、日本銀行、ブルームバーグのデータを使用してピクテ投信投資顧問が作成

 

月次、期間:1985年~1990年 出所:内閣府、日本銀行、ブルームバーグのデータを使用してピクテ投信投資顧問が作成
[図表5]日経平均株価の推移 月次、期間:1985年~1990年
出所:内閣府、日本銀行、ブルームバーグのデータを使用してピクテ投信投資顧問が作成

 

 

当レポートの閲覧に当たっては【ご注意】をご参照ください(見当たらない場合は関連記事『実践的基礎知識 金融/経済史編(8)<バブル景気②>』を参照)。

 

 

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1981年、日本経済や株式市場の調査を目的に東京事務所を設立しました。その後、1987年から機関投資家を対象とした資産運用サービス業務を開始、1997年には投資信託業務に参入し、運用資産総額は1.98兆円となっています(2018年12月末現在)。外資系運用機関の大手の一角として、特色ある資産運用サービスをお届けしております。

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