日本人のマンガに対する認識は変わった
かつてはサブカルチャーの範疇に収まり、「子供向け」の領域を出ないものであると捉えられていた日本のマンガ。しかし、平成の30年を経て、「マンガは日本を代表する文化のひとつである」という認識が、世間一般に随分と浸透してきました。
国内の背景としては、まず、1990年代以降活発となったマンガミュージアムの設立。そして手塚治虫逝去に際して開催された『手塚治虫展』(東京国立近代美術館/1990年)を皮切りに、公・私立美術館がマンガをテーマとした展覧会を企画するようになったこと、つまり、マンガがミュージアムのシステムに取り入れられ、収集・保存・調査の対象となり、整理された体系と論考が展示という形で人々に提供され続けていることが挙げられます。
【マンガを取り扱った展覧会(開催中~近日開催)】
・「萩尾望都 SF原画展 宇宙にあそび、異世界にはばたく」展(山梨県立美術館/2019年)
・「のらくろであります!田河水泡と子供マンガの遊園地<ワンダーランド>」(川崎市市民ミュージアム/2019年)
・「荒木飛呂彦原画展 JOJO 冒険の波紋」展(国立新美術館・長崎県美術館・金沢21世紀美術館/2018-2020年)
【国内の主なマンガミュージアム】
・石ノ森萬画館(宮城県石巻氏)
・川崎市市民ミュージアム(神奈川県川崎市)
・京都国際マンガミュージアム(京都府京都市)
・宝塚市立手塚治虫記念館(兵庫県宝塚市)
・北九州市漫画ミュージアム(福岡県北九州市)
※川崎市市民ミュージアムは、川崎市に関連する歴史資料や美術作品を収集するかたわら、マンガを保存展示する試みを継続している。
さらに、日本マンガ学会が2001年に設立され、学問としてのマンガ研究は本格化。今年6月には熊本大学にて「日本マンガ学会第19回大会」が開催され、大学や博物館、研究機関に所属する研究者が発表を行いました。
教育方面では、京都市と共同で『京都国際マンガミュージアム』を運営し、マンガ教育の先頭をゆく京都精華大学が、本来取り組んできたファインアート(絵画・彫刻などいわゆる美術)の定員数を2020年度より240名から112名へ大幅に減ずる代わりに、マンガ学科の定員を168名から232名へと増員し、作り手の育成に注力。学術・教育含め各方面からの後押しを受けながら、「マンガ=価値ある日本の文化」としての裏付け作りが進められています。
また、日本のポピュラーコンテンツは、しばしば海外から注目を受けていますが、『鉄腕アトム』、『ドラえもん』をはじめ、『ドラゴンボール』や『NARUTO』などの継続的な成功によって、マンガは世界の広い地域で受容が進んでいる日本の有力輸出コンテンツであるというイメージがもたらされていることも、私たちのマンガに対する肯定的な認識を後押ししています。
ヨーロッパ圏に「日本マンガのコレクター」が出現
アジア圏では日本のマンガはすでに40年以上親しまれてきましたが(同時に出版社が海賊版に苦しんだ歴史でもありますが)、近年、ヨーロッパ圏においても日本マンガ受容が活発化していることに伴って、ある出来事が起こっています。それは、ヨーロッパ圏に日本マンガのコレクターが出現し、マンガが美術品に近い流通の仕方で、蒐集(しゅうしゅう)と売買の対象となり始めたということです。
遡ること2011年10月。
フランス・パリのオークションハウスARTCURIAL(アールキュリアル)に手塚治虫『ビッグX』の手描き原稿が出品されました。エスティメイトは5,000~6,000ユーロ、ハンマープライスは5,630ユーロ(約61万円)でした。
翌2012年6月、大手オークションハウスSotheby’s(サザビーズ)がパリにて「Bande Dessinée* - Comics」と題した特集オークションを開催。ヨーロッパの人気作家に混ざって手塚治虫『ジャングル大帝』の手描き原稿がエスティメイト18,000~ 20,000ユーロで出品されましたが、こちらは不落札。
理由として『ジャングル大帝』は手塚治虫の代表作ではあるものの、出品されたページがマニアにとって魅力的なシーンではなかったことなどが考えられますが、2012年当時、手塚治虫はヨーロッパのコレクターにとって、まだまだコレクションの対象ではなく、エスティメイトに納得できるだけの落札実績がなかった、ということが大きかったのではないかと予想します。
*Bande Dessinée(バンド・デシネ)=フランス・ベルギーにおけるコマ漫画
続いて2014年5月。前述のARTCURIAL(アールキュリアル)に手塚治虫『鉄腕アトム』のサイン入りイラスト色紙が出品、エスティメイトは8,000~12,000ユーロで、ハンマープライス23,384ユーロ(約330万円)で落札。
同年Christie’s(クリスティーズ)がパリで開催した特集オークション「Bande Dessinée et Illustration」に手塚治虫『リボンの騎士』の手描き原稿がエスティメイト10,000~12,000ユーロで出品されるも不落札。
しかし、同作品が2015年にARTCURIAL(アールキュリアル)にエスィテメイトを8,000~10,000ユーロに下げて再出品されると、今度は9,480ユーロ(約130万円)で落札。
この後もヨーロッパの各オークションハウスで落札と不落札を繰り返し、少しずつオークション市場において売買実績を重ねてきた手塚治虫作品が、ついに競売の華となったのは、2018年5月のこと。
ARTCURIALに出品された『鉄腕アトム』の手描き原稿は、予想されたエスティメイト40,000~60,000ユーロを大きく上回り、269,400ユーロ(約3,700万円)で落札。落札したのは「長年購入を夢見ていたヨーロッパのコレクター」でした。
この結果はヨーロッパにおいて、オークションハウスARTCURIALのエキスパート、エリック・リロイ氏の
“It's a world record for this artist whose works are few in the market. これは、市場に出ている作品数が少ない作家のワールドレコードだ。”
というコメントを添えて報道されました。高額落札の要因は、おそらくこの時が『鉄腕アトム』の手描き原稿*がヨーロッパのオークションで取引された最初の例であり、また、本作が戦後の貸本時代、「赤本」の原稿で、同様のものがほとんど残っていないという希少性が大きく評価されたものと考えられます。
*著作権上の問題により、残念ながら『鉄腕アトム』手描き原稿の画像掲載はできないが、フランス・パリのオークションハウスARTCURIALの公式HPから当時のオークションカタログを無料で閲覧することができる。該当作品は2018年5月4-5日開催「Bande Dessinée」オークション、Lot.447 Osamu TEZUKA《Astro Boy – Tome 4》で、アトムが宙を舞いながら巨大な敵と渡り合う戦闘シーンが描かれている。
このニュースが日本でも追い風となり、国内の美術品市場でもマンガの取り扱いが本格化。Shinwa Auction株式会社が2018年より「MANGA」と題して特集オークションを定期開催している他、東京国際フォーラムにおいて毎年開催されるアートフェア東京においても、2018年ごろから一部ギャラリーがマンガをアートコレクター達に紹介しています。
なぜマンガは美術品市場と相性が良かったのか? 日本のアートオークション市場において、マンガはどのくらいの価格で取引されたのか? 実際にはどのようなものが取引されているのか。手塚治虫作品が目立つのはなぜか? そもそも日本のマンガはどこから発生したのか?
色々な疑問に対する答えはまたの機会にするとして、アートオークション(美術品競売)における売買実績の積み重ねは、「マンガ=価値ある日本の文化」の潮流を、金銭的価値の方面から後押しするとともに、マンガが美術品のように投資対象となりうる可能性を検討することにつながると期待しています。