最愛の息子が賃貸マンションで「自死」
賃貸物件で自殺があった場合、その入居者の遺族・連帯保証人には原状回復や損害賠償等の責任が発生します。しかし、請求額には明確な基準が設けられていないため、金額を巡るトラブルは後を絶ちません。
請求額の大きさに驚き「いくらなんでも過剰請求ではないのか?」と愕然としたり、入居者との関係によっては、悲しみよりも激しい憤りに苛まれるケースもあるでしょう。
今回は、ある女性相談者の例をご紹介します。
50代のA子さんは早くにご主人と離婚してひとり暮らしです。家族は20代の息子Bさんだけですが、あろうことか数ヵ月前、Bさんは自ら命を絶ってしまいました。Bさんは有名大学を卒業後、大手企業の社員となり、隣県の賃貸マンションでひとり暮らしをしていましたが、仕事や人間関係に悩みを抱えていたのか、次第に出社拒否気味になり退職、そしてマンション室内で自死するという、悲しい最期を迎えてしまいました。
母親であるA子さんは、大切な息子の異変に気づけなかったことを悔やみ、深い悲しみと自責の念に苛まれていました。
ようやく四十九日が終わった頃、A子さんのもとへ1通の書類が届きました。封を開けると、それはBさんが借りていたマンションの大家からの損害賠償の請求書でした。記されていた内訳は、〈家賃1年分〉〈模様替え費用〉。そして合計1000万円近い請求金額が書き添えられていました。この金額を見たA子さんは驚き、弁護士事務所を訪れて現状を訴えました。
A子さん:「迷惑をおかけしたのはこちらですから、損害賠償は当然だと思います。しかし、こんなにも高額な支払いをしなければならないのでしょうか? 私にはとても払えません…」
弁護士:「大切な息子さんのこと、本当にお気の毒です…。ただ、お話をうかがう限りでは、大家さんから請求されている1年分の家賃と部屋の模様替えの工事費というのは、あながち過大な請求とはいい切れないかもしれません」
借主死亡後の賃貸借契約は、相続人に継承される
大家とBさんとの間の賃貸借契約は、借主であるBさんが亡くなっても、それだけでは終了せず、借主の地位が相続人に承継されます。
今回、Bさんは不幸にも自殺されたことで、大家からは債務不履行による契約解除がなされ、解除による契約終了に伴い原状回復費用と損害賠償金を求められていると考えられます。
建物賃貸借において、貸主は使用収益させる義務を負いますが、借主は賃料を支払う義務のほか、「善良なる管理者」の注意をもって使用する義務(善管注意義務)も負います。この善管注意義務のなかには、建物内で自殺しない義務も含まれていると裁判所は解釈しています。さらに、借主には契約終了時に原状回復をする義務があり、与えた損害に対しては賠償する義務があります。
これは「相続人としても引き継ぐ義務」ですが、契約時に保証人になっていれば、「保証人が負う義務」でもあるのです。
相続人として引き継ぐ義務は、亡くなって3ヵ月以内に相続放棄することで、最初から相続人ではない扱いとなるため、最終的に義務を負担することはありません。しかし、保証人としての義務は、相続とは無関係であり、そのまま残ることになります。
この事例の場合、大家から請求されている1年分の家賃は「損害賠償金」、模様替え費用は「原状回復費用」「逸失利益の損害賠償金」ということになると思われます。
「逸失利益としての損害賠償金」は保証人に責任が
大家からすれば、入居者が自殺したことでこの建物は事故物件になってしまいます。一般に、そういった事故物件に進んで住みたい人はいませんから、しばらくは入居者がつかないでしょうし、その後の入居者には大幅な賃料減額は避けられないことになります。これが「逸失利益としての損害賠償金」になります。
また、こうした心理的瑕疵について、大家側には説明義務があります。心理的瑕疵があることを黙って賃貸に出し、あとから発覚することがあれば、それこそ大家の方が損害賠償責任を負わされる可能性があります。実際のところ、現在のネット社会において事故物件の情報を隠し通すことはほぼ不可能です。
大家からすれば、入居者がつかない期間の家賃や、減額を余儀なくされた期間の減額分は、いずれも借主の債務不履行による損害であるため、これを請求するのは当然だといえます。
また、自殺の態様によっては建物内が汚損されることもあり、通常とは異なる大幅なリフォームが必要となるため、ここに発生する費用は、原状回復の費用と損害賠償の両方の意味を持つことになります。
ただでさえ借り手がつかない事故物件ですから、多少はきれいにして付加価値をつけないとなおのこと借り手がつかないため、単なるリフォームを超えた工事が必要になります。
では、借り手がつかない期間や、減額の目安はどの程度になるのでしょうか。
下級審の裁判例では、その建物の立地や間取り等の具体的な事情によって変わってくるとしています。たとえば都会で駅前の単身者用のワンルームアパートの場合は、それなりに借主がつきやすく、入居者の入れ替わりも頻繁だと思われますので、比較的「事故物件」であることは忘れられやすく、心理的影響は早く減少すると想定されます。
たとえこのような物件の場合でも、入居者がつかない期間を1年間、さらに家賃を半額にしなければならない期間については、賃貸借契約によくある契約期間としての2年間としているケースが複数みられます。
Bさんの保証人となっているA子さんが、Bさんの大家から請求された1000万円近い金額も、上記をもとに計算すると、決して法外な金額ではなく、過剰請求とはいえないかもしれません。
A子さんにとっても、大変悲しく不幸な状況ではありますが、大家の方も困っていると思われますので、お互いに話し合い、よい着地点を探すことが大切です。
本間 正俊
多摩区役所前法律事務所 代表弁護士
髙木 優一
株式会社トータルエージェント 代表取締役社長