憲法修正により、習近平国家主席の任期制限を撤廃した中国。習主席への権力集中が顕著となり、毛沢東時代のような統制経済や個人崇拝への逆戻りが懸念されている。実際、その可能性はあるのか、本連載で探る。後編は、個人崇拝への懸念などについて見ていく。

習思想の宣伝・研究活動の活発化には、商業的な側面も

前回の続きである。しかしそれで、中国政治の行方について不安が完全に払拭されるわけではない。2017年10月、5年に一度の党大会(19党大)で「習近平新時代中国特色社会主義思想」が党規約に盛り込まれ、さらに18年3月全人代で同文言が憲法序言(前文)にも盛り込まれた。その後、この習思想を社会の隅々にまで普及・浸透させようとする動きが活発化した。

 

下記は19党大直後の写真で、「19党大精神」や19党大での習主席の報告が宣伝されている。最近は、19党大から時間が経過したこともあり、これら文言を街中で見かけることは少なくなったが、代わりに「中国特色社会主義」が多くなっているようだ。新華社によると、書籍「習近平談治国理政」第一巻発行部数は17年末、すでに660万部を超え、第2巻はそれ以上の勢いだ。

 

[写真1]第19回党大会後、広州市内に出現した看板

(注)看板上部に「第19回党大会の精神を徹底的に学習しよう」(筆者仮訳)の文言が見える。
(注)看板上部に「第19回党大会の精神を徹底的に学習しよう」(筆者仮訳)の文言が見える。
(注)党大会での習報告から引用された標語、「初心を忘れず、使命を心に刻み込め。中国人民のために幸福を、中華民族のために復興を追求する」(筆者仮訳)が記されている。 (出所)広州駐在企業関係者が2017年11月5日撮影
(注)党大会での習報告から引用された標語、「初心を忘れず、使命を心に刻み込め。中国人民のために幸福を、中華民族のために復興を追求する」(筆者仮訳)が記されている。
(出所)広州駐在企業関係者が2017年11月5日撮影

 

18年7月1日の中国共産党設立記念日に合わせ、吉林省政府指示の下、省都の長春市では「新時代号」と名付けられた地下鉄車両の走行が開始された(写真2)。車両内は赤を基調とし、19党大での習近平報告から引用した30以上の標語、例えば「中華民族迎来了従站起来,富起来到強起来的偉大飛躍(中華民族は立ち上がり豊かになる段階から、強くなる段階への偉大な飛躍を迎えている)」(注)「不忘初心、牢記使命(初心を忘れず、使命を心に刻み込め)」「把人民対美好生活的向往作為奮闘目標,依靠人民創造歴史偉業(人民のより良い生活へのあこがれを奮闘目標にし、人民が歴史的偉業を創造することを拠りどころにせよ)」などが掲げられている(筆者仮訳)。

 

 

さらに地下鉄施設内に「新時代伝習所」と称する場所が設置され、宣伝担当員が地下鉄乗降客に「19党大精神」を講義し、その周知を図っているという(7月2日付多維新聞)。

 

(注)毛沢東の「站起来(立ち上がり)」、鄧小平の「富起来(豊かになり)」と「強起来(強くなる)」を並べることによって、自らを毛沢東、鄧小平と同等の位置付けにしようとしたものと解される。

 

[写真2]長春市地下鉄「新時代号」

(注)座席や壁が赤色。壁に習思想の標語が見える。 (出所)2018年7月2日付多維新聞より転載
(注)壁に習思想の標語が見える。
(出所)2018年7月2日付多維新聞より転載

 

習思想を浸透させようとする動きは、小中学校が習思想関連の教材を導入する、大学やシンクタンクが習思想を冠にした研究テーマを採用するなど、社会各層に広く見られ、海外からも「習思想新時代が地下鉄から教室まで覆う」と紹介されている(7月9日付BBC中国語版)。

 

習思想に関する宣伝や研究活動が活発化している要因のひとつには商業的な側面もある。つまり、研究テーマを習思想と関連付ければ承認が下りやすく予算も獲得できる、あるいはその関連の講演をし、書籍を出せば収入が得られる。皮肉にも、ある意味ここで市場原理が貫徹している。

毛時代のような「個人崇拝」の再現は考え難い

こうした中、本年5月には、習主席が北京の人民大会堂で「マルクス生誕200年記念大会」を大々的に主催し、マルクス思想の一般原理は現在も完全に正しいとする重要講話を行った。その際、「理論の生命力は絶えずそれを新たに変革していくことにあり、現代中国のマルクス主義、21世紀におけるマルクス主義の新たな境界を不断に切り開いていくことが必要」と述べ、自らの思想を正当化し、その権威付けも図ろうとしている。

 

これら動きは、習思想が民族主義の高揚に訴えていることとも相まって、一部に毛沢東時代のような個人崇拝が再び起こるのではないかとの懸念を生じさせている。ただこの点についても、統制経済への逆戻りが現実問題として不可能であるのと同様に、毛時代と異なり現在は、①人々の教育水準がはるかに高い、②人々の考え方や情報源が多様化している、③毛時代は統制経済下で指導者が人々の生殺与奪の権力を握っていたが、現在、人々ははるかに豊かになっていることから、実際問題として、個人崇拝が再現するとは考え難い。

 

実際、過度の権力集中、個人崇拝を懸念し、これに対抗するような動きも伝えられている。貴州の党関連宣伝媒体は昨年11月、習主席に毛時代や現在の北朝鮮メディアを思わせる「偉大な指導者」の冠をつけたが、その直後、新華社が長文の論考を掲載し、習主席に「領路人」「総設計師」など8種類の冠を使用。これは行き過ぎた冠の使用を抑えようとしたものとの見方がある。

 

 

党中央は伝統的に地方党組織や政府機関が国家主席の肖像画を掲げる際、党政治局や中央委員会の事前承認を求めているが、党大会後、各地で承認を経ず、習主席の肖像画を掲げる例が相次いだ。華僑向け海外媒体から「拍馬屁」、つまりごますりと揶揄されているが(昔、中国で馬を褒める時に馬の尻を叩いたことに由来する表現)が、こうした「崇習熱」に対し、人々に文革への回帰を想起させることを懸念する党中央は7月、みだりに習主席の肖像画を掲げることを禁止する通知を出した、また各地の学術機関の「習思想研究」が突然中止になったなどの未確認情報がある。

 

さらに7月以降、北戴河会議(毎年8月初め頃、河北省の保養地である北戴河で、党政府幹部と長老が集まり行われる非公式の会議)をはさんで、「米国との貿易戦争を招いた政策の失敗」を口実にして反習派が巻き返しているとの憶測が、主として海外中国語媒体上に流れた。人民日報のヘッドラインから何日も習主席の名前が消えた、李克強首相が表に出てくる機会が増えている、「習思想」を理論面で支える王沪宁常務委員が姿を見せず、失脚したのではないか等々だ(7月26日付看中国、24日付新唐人他)。

中国が抱える危うさとは?

かつてオーストリア学派を代表する経済学者ハイエクは、その著書「隷従への道」で、統制経済と民主主義は並存するかいう問題に対し、明確に否との見解を示した。経済のメカニズムは極めて複雑で、政府がそれを統制しようとすると、必然的にひと握りの専門家に頼る政府、最終的には最高指導者に権力が集中し独裁政治が生まれるという論理だ。

 

一般論として、独裁政治と統制経済、民主主義と市場経済の組み合わせはわかりやすいが、それはいわば理念型で、現実には様々な中間形態がある。民主主義政治下でも経済に対する政府の関与の程度は国によってばらつきがあり、危機対応のため、一時的にせよ統制経済が敷かれるケースもあり得る。逆に中国のように政治は独裁色が強いとしても、市場経済を目指すことが不可能というわけではないだろう(図表参照)。

 

[図表]政治構造と経済構造

(出所)筆者作成
(出所)筆者作成

 

ただ後者の場合、基本的に個人や企業の自由な意思決定と経済活動を前提とする市場経済と、独裁色の強い政治構造の間で矛盾、緊張は高まっていかざるを得ない。また権力集中が進むと、とりあえずは政権基盤が安定しても、逆に水面下では、反対勢力が常に権力者を引きずり下ろす口実を捜すことになるという不安定リスクはむしろ増大する(上記、米中貿易戦争もあるいはその一例か)。

 

それが危機に至らずに済むかどうかは、ひとえに指導層の能力、清廉さ、そして、指導層に政治構造を状況に応じて変革する柔軟性があるかどうかにかかっているという危うさがある。

 

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