「平均的な有権者は無能」との予想を立てた科学者
多数決の話の最後に、面白いエピソードを紹介しよう。『「みんなの意見」は案外正しい』(ジェームズ・スロウィッキー著、角川書店)の冒頭に出てくるもので、多数決が持つ不思議な力をよく表している。
話の主役はイギリス人科学者のフランシス・ゴルトン(1822~1911年)だ。彼は、優生学の創始者として知られる人物である。優生学とは、人々の遺伝子を改良して優秀な人を増やし、社会を良くしていこうという発想のもとに、人種改良・遺伝子操作・産児制限(ここでは、精神障がい者や遺伝子疾患を持つ人、あるいは“劣等民族”などが子供を産むのを禁止することを指す)などを積極的に活用していこうとする分野だ。20世紀初頭には大きな支持を得てナチスの人種政策に採用されたりしたが、今では時代遅れな学問として歴史に埋もれている。
1906年秋のこと、彼はイギリスのプリマスという地域で開かれた家畜見本市に足を運んだ。その日の見本市では、雄牛の重量当てコンテストが開催されていた。800人ほど参加者がいて、それぞれが雄牛の重量を予想して紙に書いて投票し、実際の重量と一番近い人が賞を受け取るというものだ。参加者の顔触れは様々で、畜産農家など専門的な知識を持った人もいたが、競馬好きなだけの人(馬→牛という連想?)や、牛のことは何も知らないけれども、単に面白そうだから参加したという人も沢山いた。
ゴルトンは、一部の優秀な血統の人々以外は信頼に値する知性を持ち合わせていないと信じ込んでおり、それを証明したがっていた。雄牛の重量当てコンテストは、様々なバックグラウンドを持つ人々が1票ずつ投票するという点において、民主主義の仕組みと共通点がある。そこで彼は、雄牛の重量当てコンテストを通して“平均的な有権者”の持つ能力を推し量れると考えた。
彼としては、平均的な有権者は無能だと示したかったわけだ。
そこで彼は、コンテスト終了後に主催者から投票用紙を譲り受け、コンテスト参加者の予想の平均値を計算してみた。予想の平均値は、コンテスト参加者の集団としての予測能力を反映しているといえる。この数値が全く的外れなものであれば、平均的な有権者の能力は信頼に値しないと結論付けられるはずであった。
ところが彼の予想に反して、コンテスト参加者の集団的な予想は非常に正確なものだった。予想の平均値は1197ポンドだったが、実際の重量は1198ポンドで、なんとわずか1ポンドの誤差で正しかったのだ。
大数の法則によって値が均衡し、「真の値」に!?
このように、人々の集団が個々人の能力を超えた予測能力や問題解決能力を示す場合があることが知られており、人々が集合することで生み出される知性という意味で「集合知」と呼ばれている。そして、集合知が働くメカニズムにも、大数の法則が関係している。
雄牛の重量当てのケースでいえば、人々は様々な観点から自分なりの予想をしていく。ある人は雄牛の平均的な重量と体格を知っていて、それとの比較で「この雄牛はよく肥えているから、平均より1割くらい重いかな・・・」などと推測する。
また別の人は、自分の体重と比較して、「こいつの方が俺より10倍くらい重そうだな・・・」などと考える。誰も本当の答えを知らないので、ある人は雄牛の重量を過大評価し、ある人は過小評価することになる。
参加者の判断がそれぞれ独立しているならば、過大評価する人の割合と過小評価する人の割合は大体同じくらいになると考えるのが自然だ。もし集団の中にリーダーがいて、その人の予想がたまたま過小評価気味だったり過大評価気味だったりすれば、他の人々も同じ方向に傾いてしまうかもしれない。けれども、今はそういうリーダーがいない状況なので、傾きは生じていないと考えるのが自然なわけだ。
そして、予想をする人が多くなると、大数の法則によって過大評価の票と過小評価の票がおよそ均衡し、平均値をとる際に過大評価と過小評価が打ち消しあって、真の値に近い結果になるのだと考えられている。
ひとりひとりが自分の意見をしっかり表明すること(判断の独立性)が集合知のカギになっている。リーダーの意見に迎合する集団では、個人の能力を超えた力を生み出すことができないのだ。