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ライフステージの変化で症状が再発
初診から1年後、春香さんは、自分で探した職場で働き始めました。大学を卒業するときに入社したかった食品メーカーではありませんでしたが、入社面接のときの担当者や会社の雰囲気に安心感があったのが理由だそうです。数年後には、その会社で後に夫となる人と出会うことになります。
春香さんに「人を信じられる」感覚が戻ったことがうれしかったですね。これで、社会への不信や被害的思考も薄れていくことになるでしょう。
初診から6年目のことでした。3カ月ぶりに診察室を訪れた春香さんから、またもうれしい報告がありました。
春香:実は、妊娠しました。子どもができたんです。
広岡:おめでとう。よかったじゃない。
春香:それで相談なのですが、薬を飲み続けるのはよくないですよね。わたし、健康な子を産んで、母乳で育てたいんです。
広岡:それでは、しばらく薬を飲むのは中断しましょう。安定しているようですからね。元気な赤ちゃんが生まれるといいですね。
無事に出産し、病院から退院した日の夜、春香さん、ご主人、お母さんの3人で、子どものこれからの話で盛り上がったと言っていました。
ところが、産褥期(出産後の体が元の状態に戻るまでの期間。およそ6〜8週間といわれる)に入った春香さんの状態が悪くなります。産褥期は再発リスクが高い時期で、春香さんにも統合失調症の症状が現れるようになったのです。
春香さんは赤ちゃんの泣き声に過敏に反応するようになりました。夜中の授乳が続き、眠りは細切れになり、日中もぼんやりと意識が遠のく瞬間があったといいます。ある夜、赤ちゃんが泣き止まない時間が続いたとき、春香さんは急に震え出し、ご主人にしがみつくようにしてこう言ったそうです。「この子を守らなくちゃいけない」
翌朝、母親が様子を見に行くと、春香さんは座ったまま赤ちゃんを抱きしめ、怯えた目で部屋の隅をにらんでいました。「誰かが赤ちゃんを連れて行こうとしている」と繰り返したといいます。この頃には、睡眠不足と産後のホルモン変動が重なり、以前の“替え玉妄想”に似た恐怖感が再び芽生え始めていました。家族が傍にいても、安心感が十分に届かなくなっていたのです。
春香:怖いんです。眠れません。助けてください。薬を飲みます。
広岡:大丈夫ですよ、春香さん。また、薬を飲みましょうね。前のようにすぐに落ち着いてきますから。
その日から、春香さんは抗精神病薬の服用を再開しました。初診の頃から長い時間をかけて築いてきた信頼関係があったからこその治療再開です。服薬を再開した春香さんの症状はすぐに安定してきました。一緒に住んでいたお母さんとご主人のサポートがあったことも、大きな要因です。ご主人は、真夜中に眠れない春香さんに寄り添い、肩を抱きながら「大丈夫だよ」と声をかけ続けたそうです。そうした日々が、夫婦の絆をいっそう強めたのは言うまでもありません。