(※写真はイメージです/PIXTA)
情報が溢れる時代に、子どもたちが“大きな夢”を描けない理由
コロナ禍がはじまる1年前にフィリピンに行ったときも同じことを感じました。従来の私が描いていたフィリピンのイメージとは違い、50階建ての高層ビルがものすごい勢いで建てられていて、まるで新宿のような街(新宿以上ですが)がどんどん生まれている状況です。
人口ピラミッドでいえば、日本は急速な少子高齢化で高齢者が多い逆三角形の人口分布図ですが、フィリピンは若い人口が多く、人口分布図は見事にほぼ正三角形の形をしています。私は「若者にとってチャンスがたくさんある街」と感じました。
現地の友人にたずねてみました。
「フィリピンの若者はいいですね〜。とっても環境に恵まれているし、街もエネルギッシュでチャンスがあふれていますよね」
すると友人は「いや、ここにいる若者はあまり夢を見ないんですよね。どんどん隣にビルが建っていても、要は他人事なんです。親がゴミを拾っていたら、子どもはそれを将来の職業として夢に見ます」
それを聞いた私は、日本の中学生や高校生の自分の夢についてのコメントを思い出しました。中学生や高校生に将来の夢を語ってもらったとき、約8割の学生さんが「会社員です」と答えたことを思い出しました。もちろん、よい悪いはまったくないですが、世の中に出回っている情報量に比べ、意外にも答えが自分たちの世代と変わっていないことを感じた瞬間です。
そのとき、どの情報が自分に関係している情報で、どの情報が自分にとって使えそうか、など情報を選ぶ力をもっていないと、将来の大きな夢は描きにくいのかもしれないと思ったのでした。
私たち大人も、会社で問題が起こった際には、ほとんどの場合、上司や同僚から「いまどうなってるんだ?」「何が問題なんだ?」と課題や問題点について説明、つまり、「現状の把握」を求められ、「じゃあ、どうするんだ?」「どう解決するんだ?」という「解決方法の提示」を問題が発生するたびに質問されます。
日常生活でも会社でも、フォーキャスティング的考え方(解決思考)ばかりにとらわれているので、私たちはとくに意識しなければ、部下に対しても、社員に対しても、「現状の把握」と「解決方法の提示」2つの質問しかしません。
私たちは自分で意識しなければ、「まわりの人が自分にしてきたコミュニケーションスタイル」を知らず知らずに身につけ使っていきます。