かつて成功の象徴とされたタワーマンションでの暮らしが、今、思わぬ形で家計を圧迫するケースが増えています。その元凶は、終わりの見えない物価高騰、すなわち「インフレ」です。現役時代には想像もしなかった支出増が、穏やかなはずの老後に重くのしかかります。
〈年収1,500万円〉〈退職金3,500万円〉の勝ち組でも…湾岸タワマン暮らしを襲う「インフレ地獄」。〈年金月32万円〉の老後資金が溶ける、68歳の絶望 (※写真はイメージです/PIXTA)

勝ち組のはずが…湾岸タワマンを襲った「インフレ地獄」

「65歳で仕事からも住宅ローンからも解放されて、あとは妻と穏やかに暮らしていけるもんだと、信じて疑いませんでした」

 

高橋誠さん(68歳・仮名)は、力なくそう語ります。大手企業の部長として、現役時代の最高年収は1,500万円、退職金は3,500万円。20年ほど前に購入した東京の湾岸タワーマンションからの眺めは、まさに「勝ち組だけが手に入れられる絶景」でした。

 

老後の生活費のベースになるのは、夫婦の年金、月32万円。「よほどの贅沢をしない限り、ここで十分暮らしていける」。ごく一般的な、むしろ恵まれているはずの定年後の生活を思い描いていました。

 

しかし、その計画を蝕む「インフレ地獄」が、静かに、しかし確実に始まっていました。

 

最初に感じたのは、日々のスーパーでの買い物や、毎月届く電気・ガス代の請求額でした。「また値上がりか……」。ため息をつく回数が増え、想定していたよりも生活費がかさんでいくことに、高橋さんは得体の知れない不安を覚え始めます。

 

そして、その不安を恐怖に変える一通の通知が、マンションの管理組合から郵便受けに投函されたのです。内容は「電気料金および管理委託費の高騰に伴う、管理費の値上げのお知らせ」。タワーマンションの豪華な共用部を照らす電気代や、24時間常駐のコンシェルジュ、清掃・警備を委託している会社の人件費が昨今の物価高で上昇したため、やむを得ない措置だとのことです。

 

月々数千円の値上げ。現役時代なら気にも留めなかった金額が、年金生活者にとってはボディブローのように重くのしかかります。まさに「インフレ地獄」。ですが、これは悪夢の序章に過ぎませんでした。

 

決定打となったのが、数年後に控える大規模修繕の問題です。当初の計画では、これまで20年以上にわたって積み立ててきた修繕積立金で工事費用は十分賄えるはずでした。しかし、総会で提示された新たな見積額は、高橋さんの目を疑わせるものでした。世界的な建設資材の価格高騰と、職人の人件費上昇により、見積額が当初の想定を数千万円も上回ることが判明したのです。

 

実際に、国土交通省が公表している建設工事費デフレーターを見ると、建設工事にかかる費用は右肩上がりで、2015年度を100とした場合、2023年度には131.7にまで上昇しています。

 

総会では「このままでは必要な修繕ができない」という管理会社の悲痛な報告がなされ、結果として、修繕積立金の大幅な増額、あるいは「各戸数十万円単位の一時金徴収」という、あまりにも厳しい選択が住民たちに突きつけられました。

 

高橋さんの老後の資金計画では、この管理費と修繕費という「終わりのないダブルパンチ」を吸収することなど到底できません。

 

「生活の質をこれ以上どうやって落とせばいいんだ…」

「この家に住んでいるだけで、大切な老後資金がみるみる溶けていく……」

 

穏やかな余生を思い描いていたタワーマンションが、自分たちの首を絞めるだけの存在に変わってしまった――その現実に、高橋さんはただ絶望するしかありませんでした。