(※写真はイメージです/PIXTA)
〈年金7万円〉のはずが…心配する息子をよそに「大丈夫」と笑う母
その日、健一さんが実家の居間で母と話していると、ふと千代さんの手元に目が留まりました。数年前に健一さんがプレゼントしたスマートフォン。その画面には、赤や緑の数字が並んだ、複雑なグラフが映し出されていました。それは、どう見ても株価のチャート画面でした。
「母さん、それ……どうしたの? 株なんてやってるの?」
健一さんの問いに、千代さんは一瞬、ばつが悪そうな顔をして慌ててスマートフォンの画面を消しました。そして、観念したように深いため息をつきます。
「そうよ、ちょっとだけね」
これまで母の口から「投資」や「資産運用」といった言葉など、一度も聞いたことがありません。倹約家で、銀行預金こそがすべてだと信じているような母からは、最も縁遠い世界だと思っていました。
さらに詳しく話を聞こうとする健一さんに対し、「バレたら仕方がない」といったそぶりで、おもむろに食器棚から一冊の通帳を取り出してきました。
「実はね……、月にすると30万円ほど、配当金があるのよ」
「え……?」
30万円。それは、年金月7万円で暮らす母の口から出るには、あまりにも非現実的な金額でした。健一さんは、自分の耳を疑いました。千代さんの告白は続きます。
株を始めたのは40歳のとき。友人の勧めだったそうです。世はバブル景気まっただなか。誰もが浮足立っているなか、千代さんは「無理せず、コツコツと」をモットーに投資を進めてきました。
「儲けようというよりも、好きな会社を応援する気持ちでね。あと……ほら、株って下がったときが仕込み時っていうじゃない。そういうときはチャンスと思ってね、どんと買うんだよ」
90年代後半の金融危機、2008年のリーマン・ショック……まさに教科書通りの資産運用を続けてきた千代さんでしたが、昨今の株高で資産は大きく増えたといいます。
「どうして、今まで話してくれなかったんだよ」
呆然と尋る健一さんに、千代さんは少し申し訳なさそうに答えました。
「だって、投資なんて言ったら、みんな心配するだろう」
金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査](令和5年)』によると、世帯主70代の世帯の80.8%が、何らかの金融資産を保有。資産保有世帯の金融資産保有額は平均2,188万円で、そのうち459万円は株式です。このような人たちのなかには、千代さんのように配当によって老後が支えられているケースも少なくないでしょう。
千代さんの質素な生活はお金がなかったからではなく、身の丈をわきまえていたからこそでした。「あなたたちにも少しは遺してあげられると思うから期待しておいて」と千代さんは笑いました。健一さんは、それまで抱いていた「お金に疎く、世間知らずな母親」というイメージは、完全な思い込みだったことを思い知ったといいます。
[参考資料]
日本年金機構『令和7年4月分からの年金額等について』
金融広報中央委員会『家計の金融行動に関する世論調査[二人以上世帯調査](令和5年)』