退職金も年金もあり、老後は安泰だと信じていた——そんな想定が「負動産」によって崩れることがあります。誰も住まなくなった実家……家族の思い出が詰まっている大切な存在ではあるけれど、感情だけでは割り切れない、現実的な重荷が日常を蝕んでいきます。
〈年金月20万円〉〈退職金2,000万円〉66歳元公務員の絶望。誰も住まない〈亡き妻の実家〉の維持費に限界も、不動産会社「このままでは売れません」に唖然 (※写真はイメージです/PIXTA)

思い出の場所が、年金生活のなかでは重荷に

リタイアして1年。時間的な余裕ができたことで、田中さんは改めて自身の資産状況と向き合いました。そして、このまま妻の実家を維持し続けることの困難さを痛感したのです。

 

「妻が亡くなってから10年。一周忌、三回忌と法要を営むたびにこの家を訪れていました。仏壇に手を合わせ、家中の空気を入れ替え、庭を眺める。それが亡き妻への供養になると信じていました。もし妻が生きていたら、この家が荒れていくのを見て悲しむだろう。その一心だったのです」

 

しかし、その思いも、現実的な負担の前では揺らぎ始めていました。年々体力が衰え、車で数時間かかる妻の実家への往復も億劫に感じることが増えてきました。

 

「正直、もう限界なのかもしれません。私の代で終わりならまだしも、この家を子どもたちにまで背負わせるわけにはいかない。そう思うようになりました」

 

田中さんには、すでに独立して家庭を持つ2人の子どもがいます。彼らにこの重荷を継がせることだけは避けたい——そう決意された田中さんは、ついに実家の売却に向けて動き出しました。

 

しかし、現実はあまりにも厳しいものでした。地元の不動産業者数社に査定を依頼されたものの、いずれの業者からも芳しい返事は得られませんでした。築50年以上が経過した木造家屋で、駅からも遠く、利便性も良いとはいえない立地です。

 

「『この状態では買い手を見つけるのは難しいですね。土地値での売却になりますが、解体費用を考えると、手元にはほとんど残らないかもしれません』と。そう言われたときは、本当に目の前が真っ暗になりました」

 

更地にして売却しようにも、解体費用が200万円以上かかると聞き、田中さんは言葉を失いました。良かれと思って維持してきた結果がこれでは、何かの間違いではないか——。

 

「でも、これは私たちの老後のための、いわば保険です。誰も住まない家の解体のために退職金を取り崩せば、老後の安泰が崩れてしまう。それは、どうしても避けたいのです」

 

現在、田中さんは自治体の空き家相談窓口に足を運び、専門家のアドバイスを求めています。「空き家バンク」への登録や近隣住民への譲渡の可能性など、考えられるあらゆる選択肢を模索し始めたところです。

 

思い出の場所が、管理不行き届きによって地域の問題へと発展する前に、何とかしなければならない——その一心で、田中さんは今日も分厚いファイルと向き合っています。

 

[参考資料]

総務省統計局『令和5年 住宅・土地統計調査』