【第1回】「an・an」からSNSへ。美容クリニック、情報発信の変遷と「信頼される」ための条件(全10回)

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聖心美容クリニック
【第1回】「an・an」からSNSへ。美容クリニック、情報発信の変遷と「信頼される」ための条件(全10回)
※(画像はイメージです/PIXTA)

ビジネスにおける情報発信とマーケティングは、この30年のあいだに劇的に姿を変えました。その縮図ともいえるのが、美容医療の世界です。女性誌での広告が主流だった時代から、ホームページのSEO対策やSNS、生成AIの活用が必要とされる現在に至るまで、情報戦略はどのように進化してきたのでしょうか。本稿では、聖心美容クリニック統括院長の鎌倉達郎氏の著書『信頼経営 仕事人として、人として何よりも大切なこと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より、その変遷と、これからの時代に「選ばれる」ための情報発信の本質に迫ります。

ほとんど情報がなかった美容医療

美容医療という言葉を聞いて、どのような印象を持つでしょうか。かつて美容整形ともいわれていた美容医療は、今でこそ多くの人にとってQOL(人生の質)を向上させる医療サービスとして広く受け入れられていますが、それまでにはさまざまなことがありました。

 

私は1995年に美容医療の世界に入りました。当時は美容医療という言葉自体あまり認知されておらず、美容外科といっていて、私自身も美容外科や美容整形という言葉を使っていました。この言葉からも分かるとおり、外科の領域で括られていました。実は、美容外科の診療科名としての正式認定は1978年と50年近い歴史を持っています。もちろん、医療の領域です。

 

私は6年間、一般外科医を経験し、そこから美容医療に移るのですが、美容医療の世界では新人医師にすぎません。当時は二重埋没法、ワキガ手術、包茎手術が美容外科の3点セットと呼ばれ、症例数も多かったので、新人医師はその技術を習得するところから美容外科修業が始まります。当時から美容外科メニューには鼻や顔全体の整形、脂肪吸引、豊胸術などもありましたが、基本は3点セットの手術を中心に取り組む日々を過ごしてきました。

 

当時はまだインターネットが普及しておらず、美容医療に関する情報はほとんどの患者様が紙媒体から得ていたように記憶しています。「an・an」をはじめ「女性セブン」や「女性自身」などの女性誌や週刊誌からの情報収集が主だったと思います。また、当時はタウンページという電話帳にも広告掲載していました。時代性もありますが、あの頃は紙媒体に書かれた情報を頼りにするしかなかったのです。

 

また、美容医療を受診したことを秘密にしておきたいという風潮が今よりも強かったため、症例写真や体験談などの情報が乏しく、そのため、ドクターの腕を信じて「お任せします」という患者様、芸能人や女優さんらの写真を持ってこられ、「こんなふうにしてほしい」とリクエストされる患者様が多くいらっしゃいました。

 

現在はインターネットの普及で美容医療に関する情報は簡単に入手できるようになり、SNSや口コミサイトでドクターをお選びになる患者様が増えていますが、当時、個人名で知られていたのは「高須クリニック」の高須克弥先生ぐらいでした。ドクターの個人名を打ち出した広告もほとんどなく、まず目につくのはクリニック名、それから施術の内容でした。

 

現在のように医療広告に関する規制もなく、今ならNGになるような誇張された表現も目立っていました。患者様側と医師側との美容医療についての理解の差が大きかったことも事実です。

 

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※本連載は、鎌倉達郎氏の著書『信頼経営 仕事人として、人として何よりも大切なこと』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋・再編集したものです。

信頼経営 仕事人として、人として何よりも大切なこと

信頼経営 仕事人として、人として何よりも大切なこと

鎌倉 達郎

幻冬舎メディアコンサルティング

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