異文化コミュニケーションと海外進出
心の距離を縮めるための手段として、コミュニケーションが必要なのは世界共通です。むしろ外国人のほうが意思表示がはっきりしているので、早く親密になることもあります。私はもともと国籍や肌の色、人種等々を気にしない性格なので、基本的に「言葉が違っても同じ仲間」という認識で諸外国の方々と接しています。
聖心美容クリニックは2011年から上海での診療をスタートしましたが、その背景にはこうした私の考えに一致する側面もあるように思います。聖心美容クリニックは、2006年から「Genki Group」という大きな組織に仲間入りしましたが、Genki Groupは、1998年に上海に株式会社を設立して中国で働く日本人のサポートのために取り組んでいます。
中国に赴任、出向して働いている日本人は何万人もいるわけですが、そういった方々がケガや病気になって医療機関を受診する際、言葉が通じずに苦労されるケースがあります。そこをサポートしようということで、Genki Groupが日本人外来のようなセクションを各病院に設置して日本人の対応をしてきたという歴史があります。
日本の医療技術の高さはアジア圏内、特に中国では一目置かれています。日本の美容医療も注目されているので、それが聖心美容クリニックの中国への進出につながりました。日本には“おもてなし”の文化がありますが、その文化に基づいた日本式の医療サービスを世界で展開していこうという考えも中国進出のきっかけになっています。
とはいっても、事は簡単には進みません。主な障壁の一つには、日中の医療に関する法律の違いがあります。日本では、「営利を目的とした医業」が医療法で禁じられているので、株式会社がクリニックを経営することはできません。そのため、医師個人でクリニックを経営するか、医療法人や一般社団法人が経営するようになっています。
中国は日本とは異なり、民間企業が医療機関やクリニックを運営することができます。私たちも現地法人をつくりクリニックの設立を考えたのですが、それには何億円もの巨額な資金が必要になることが分かり、現地法人化は取りやめになりました。その代わり、上海の日本人が多いエリアにある病院の一部分を間借りして、美容医療科をオープンしたのがスタートになりました。
今でも覚えています。上海の立ち上げ準備はちょうど2011年3月、東日本大震災のときでしたので、非常に苦労した記憶があります。 その後、間もなく上海での診療を開始しましたが、上海のさまざまな方々から「加油! 日本」との励ましをいただき、また私たちもそれを合言葉に信頼関係を構築できたと思っています。だからこそ、コロナ禍のロックダウンにより上海での診療が完全にストップするなどさまざまな経験をしましたが、皆で続けてこられたのだと感じています。
オープニングスタッフには北京大学医学部を卒業した高須淳司医師(現上海院院長)と、中国人ドクターに入っていただき、あとは聖心から大阪院の寺町英明院長と大井弘一副院長、福岡院の美原寿之院長、大宮院の伊藤哲郎院長が持ち回りでいきましょうということになりました。私も最初は1〜2ヵ月に1回ほど、その後も数ヵ月に一度は出張診療していました。
私の役割は、現役ドクターとしての診療はもちろんのこと、現地のドクターたちの技術指導全般を担っていました。上海での診療をスタートする数ヵ月前から、中国で採用したドクターたちに来日してもらい、集中的に研修を受けてもらっていましたが、それでも十分とはいえませんので、私が上海に頻繁に赴いて、指導にあたったのです。
