(※画像はイメージです/PIXTA)
自分の人生と重なる隣人男性
Sさんはその夜から毎日、お姉さんから聞いた話を繰り返し思い出していました。遺体を発見した当日の記憶と、お姉さんから聞いた男性の人生が繰り返しフラッシュバックされるのです。
「悔しかっただろうな、痛かっただろうな、無念だっただろうな……」と何度も何度も考えてしまいます。「自分の人生をもう辞めてしまったんだ、きっと」年齢も似ているし、同じアパートのそれも隣に住んでいる、そしてなにより人生がSさんとそっくりなのです。
Sさんは、地元では優秀な偏差値70の県立高校を卒業し、現役で東京都内の有名私立大学に進学しました。上京したのは1990年。バブル経済期が終わりを告げた年でした。当時のSさんはバブル経済とは無縁。バブルが弾けようが、田舎育ちのSさんにとって東京での生活は刺激的で眩しく、浮かれるように学生生活を謳歌していたものです。親からの仕送りとファミレスでのアルバイトの分を合わせると、月に30万円ほどの収入がありました。
Sさんはアルバイトにのめり込むあまり、次第に大学から足が遠のくように。平日の日中もアルバイトのシフトを入れ、社員からまるで管理職のように扱われることに自尊心がくすぐられていました。
大学の単位はなんとかクリアしていましたが、ほとんど非正規のファミレス店長のような状態で、大学生とは呼べない生活でした。1990年代初頭、そんな大学生が多くいたものです。
就職氷河期の幕開け
バブル経済崩壊の余波を受け、1993年の就職活動はSさんにとって過酷なものでした。アルバイト先のファミレス運営企業からは誘いがありましたが、Sさんとしては都市銀行や証券会社、保険会社など文系の学生に人気の企業への就職を夢みていたのです。
「ファミレスなんてありえない」などと考えていたSさんでしたが、結果は全滅。4年生の夏になっても内定が一社もない状態でした。落ち込むSさんに対し、長野県の実家の父親は地元に帰ってきてはどうかといいます。父親が勤務する会社の取引先を紹介するとのことでした。
もうどんな会社でもいい、就職さえ決まったらいいという投げやりな気持ちで父親に任せたところ、紹介するのは自動車ディーラーとのことでした。「大学を出てまで車の営業マンしかないのか……」と失望が隠せないSさんでしたが、2回の軽い面接ですぐに内定が出ました。その会社では150名いる営業マンのうち、大卒は数人しかいないとのこと。