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ソシオパスの内面は「空っぽ」ではない?子どもとの共通点
ソシオパスの内面世界は、本当に空っぽなのだろうか。というより、私たちがソシオパスの気持ちに寄り添ってその内面的な経験を「自分に重ねて」も、その経験が私たちを満たすことはないとわかるだけだろうか。重ねてみる対象は合っているが、「重ねる」場所が合っていないのだろうか。
もしかしてソシオパスは、自分を空っぽなどとは全く思っていないかもしれない。ふつうの10歳児のそれと同じ次元の意識を使っているのかもしれない。敏感な親はたいてい、10歳のわが子が暑い日に冷たい飲み物をねだることが多いのに気づくが、子どもが近視眼的に自分の利益を追求しても、それを内面が「空っぽ」であるサインだとは考えない。
いやむしろ、潜伏期の子ども(エリクソンは「必死で」「勤勉さを獲得しようとする段階の子ども」としている(※4))というのは、計画と目標と意味構築された欲しいものだらけだ。それらを実現するために道具として役立つなら誰であれ、何であれ、子どもたちはかわいらしいやり方とはいえ、利用してやろうとするが、そんな子どもたちのことを、私たちは中身がないとは言わない。おそらく、子どもたちの内面世界はぎっしり詰まっている。気持ちを共有できる相手より、道具としての相手でいっぱいになっているだろう。
いずれにせよ、子どもあるいはソシオパスにとって、内面世界は空虚でも空っぽでもない。蝶の幼虫は、たとえ将来羽が生えることを知らなくても、自分は地面の上にしかいられないとは思わないのだ。
ソシオパス(今は「反社会的気質を持っている」と表現される)と診断されたティーンエイジャーは、文化からの期待に応えられない人たちの最たる例かもしれない。むろん、大半のティーンエイジャーは、どの次元の意識を持っているのであれ、ソシオパスではない。
ただ、ソシオパスと診断されたティーンエイジャーの環境―要求される次元の複雑さで世界を構成できていない/「キャパオーバーのお手上げ状態」になっている/周囲の人に適切に理解されていない――はいずれも、すべての若者が10代のある時期に向き合うことになる環境の極みと言えるのではないだろうか。
外部からの認識論的要求と内面の認識論的能力のミスマッチが、思春期のある時期の特徴なのだ。いずれにしても、ある人の精神に対する環境からの要求が、その人の現在の精神的能力より高いレベルであることは、悪いことなのだろうか。
参考
※1
ソシオパシー(社会病質)に関するより詳細な私の考えを知りたい場合は、以下を参照。
R. Kegan, “The Child behind the Mask: Sociopathy as Developmental Delay,” in W. H. Reid, J. W. Bonner III, D. Dorr, and J. I. Walker, eds., Unmasking the Psychopath (New York: Norton, 1986)。
私の考えを検証するものとしては、以下を参照。
P. B. Walsh, “Kegan's Structural Developmental Theory of Sociopathy and Some Actualities of Sociopathic Cognition” (doctoral diss., University of Pittsburgh, 1989; University Microfilms International, no. 89-21423).
非行・問題行動を構成主義的発達理論の立場からさらに考えたい場合は、以下を参照。
C. Blakeney and R. Blakeney, “Understanding and Reforming Moral Misbehavior among Behaviorally Disordered Adolescents,” Behavior Disorders, 16: 120-126; C. Blakeney and R. Blakeney, “Reforming Moral Misbehavior,” Journal of Moral Education, 19 (xxxx): 101–113; J. Hickey and P. Scharf, Toward a Just Correctional System (San Francisco: Jossey-Bass, 1980)
; and
R. Selman, L. Schultz, M. Nakkula, D. Barr, C. Watts, and J. B. Richmond, “Helping Children and Adolescents Improve Their Social Conduct: A Developmental Approach to the Study of Risk and Prevention of Violence,” Development and Psychopathology, in press.
※2 H. Cleckley, Mask of Sanity (St. Louis: C. V. Mosby, 1941).
※3 R. Blakeney and C. Blakeney, “Knowing Better: Delinquent Girls and the 2-3 Transition” (unpublished paper, Harvard University, 1977).
※4 E. H. Erikson, Childhood and Society (New York: Norton, 1963).
ロバート・キーガン
ハーバード大学教育学大学院
名誉教授