「退職後は悠々自適に暮らしたい」──そう考えている人も多いはずです。経済的な備えを整え、仕事を引退したあとの人生を楽しむつもりでいても、思わぬ「落とし穴」が待っていることも。老後の生活が一変してしまうケースもあるようです。老後に潜む「見えづらいリスク」とは?
こんなはずではなかった…「退職金2800万円」62歳の定年男性、ある日、激愛の5歳孫まで拒絶。家中のシャッターを締め切った「まさかの事情」 ※写真はイメージです/PIXTA

定年後の「心の準備」も資産と同じくらい重要

「最近、ずっと部屋にこもっている」「外に出たがらない」「口数が極端に減った」……このような変化は、高齢者のうつのサインである可能性があります。

 

千葉さんの家族は、地域包括支援センターに相談し、精神保健福祉士による面談を経て、医療機関を受診。医師の診断は「うつ状態」。早期に支援が始まったことで、カウンセリングや薬物療法と並行して、デイサービスや地域の交流会にも少しずつ参加できるようになっていきました。

 

高齢者のうつは、家族や身近な人が気づかなければ長期化しやすく、本人も「年のせいだろう」と片づけてしまいがちです。しかし実際には、専門機関による介入や、地域資源の活用によって改善が見込めるケースも多いのです。厚生労働省が推進する「地域包括ケアシステム」では、医療・介護・福祉が連携し、高齢者の生活を多角的に支える体制が整いつつあります。

 

千葉さんは現在、月に1~2回、近くのシニア交流会に顔を出し、同じ境遇の仲間と世間話を交わすようになりました。少しずつですが「自分にもまだ居場所がある」と感じられるようになったと話します。

 

「退職後の生活は、金銭的な備えだけじゃ不十分だったんです。役割も、人とのつながりも、心の健康も、すべて必要なんだって、やっと気づきました」

 

まさか自分が心の不調に陥るとは――「こんなことになるなんて……と自分でも驚くばかりです」と千葉さん。

 

このように、定年後の人生には金銭面と同時に、「心の備え」「社会との接点の確保」が必要不可欠です。退職を機に自分の役割が一気に失われると、心のバランスが崩れやすくなります。

 

厚生労働省『令和6年版厚生労働白書』によると、「孤独感に影響を与えたと思う出来事は?」の問いに対して、「離職・退職」は14.0%。「家族との死別」(23.3%)、「一人暮らし」(19.5%)、「心身の重大なトラブル」(15.5%)に続き、孤独感に影響を与えた出来事であるという声が集まりました。

 

高齢期は、「喪失」に関連したライフイベントが多く、特にストレスを感じやすい時期。一般に、喜びや楽しみを感じなくなることは、うつ病の主要な症状である憂うつ感の特徴のひとつと考えられていますが、内閣府『令和4年版高齢社会白書』によると、生きがい(喜びや楽しみ)を感じる程度について、「十分感じている」と回答した65歳以上の人は全体の22.9%、「多少感じている」が49.4%であった一方で、「あまり感じていない」、「まったく感じていない」と回答した人が20.5%でした。また近所の人と趣味をともにする、お茶や食事を一緒にするなどの付き合いをしていない人は、いずれも付き合いのある人と比べて、生きがいを感じていない人の割合が高い傾向にありました。

 

生きがいを感じていない高齢者が、必ずしも心の不調を抱えるわけではありません。しかし定年後、それまでの人生の中心にあった仕事や職場の人間関係から離れると、大きな喪失感に襲われることがあります。そのような状態で、新たな他者とのつながりを構築することができず、こころの不調に陥ることがあるのです。「老後の安心」のために、生活費だけでなく、心の健康と居場所づくりにも目を向ける必要があるといえるでしょう。

 

[参考資料]

厚生労働省『令和6年版厚生労働白書』