(※写真はイメージです/PIXTA)
美術品の並ぶ豪邸から、6畳一間のアパートへ
ユウスケさんの生家は、世田谷区の閑静な住宅街にありました。不動産事業で成功していた父の趣味は絵画収集。リビングや書斎には、海外のオークションで落札した油絵が飾られている家でした。「ユウスケ、本物はいいぞ。見る目を養え」そう語る父の横で、ユウスケさんも見よう見まねでスケッチブックに向かう。――それが少年時代の幸福な記憶です。
しかし、その生活はユウスケさんが中学3年生だった冬、唐突に終わります。バブル崩壊後の無理な投資が祟り、父の会社が不渡りを出したのです。学校から帰宅したユウスケさんが見たのは、執行官たちが、父自慢のコレクションを次々と運び出していく光景でした。壁に残された四角い日焼けの跡が、かつての栄華を虚しく物語っていました。
その日の夜、親子3人はトラックに乗り込み、住み慣れた家をあとにしました。
「私が働きます」母の覚悟と父の蒸発
引っ越し先は、都内から離れた北関東の工業団地にある、築40年の木造アパートでした。6畳一間に親子3人。父は、朝から酒をあおり、暴れました。「俺はこんなところで終わらない!」父の変わりぶりには言葉が出てきません。
そんな地獄のような家計を支えたのは、母・ヨシコさんでした。「お父さんは病気だから」そういって、近所の定食屋や清掃のパートを掛け持ちしました。お嬢様育ちで働いたことがなかったのに、洗剤荒れで母の指の節は太くなっていったのをよく覚えているそうです。高校に進学したユウスケさんも、放課後はアルバイトに行き、生活費を稼ぎました。
そしてユウスケさんが18歳のとき、父は「知人に金を借りてくる」と言い残して蒸発。残されたのは、借金の督促状と、心身ともに限界を迎えた母だけでした。