夫は「夢」を、妻は「現実」を語る
学さんにとって、定年後の生活は「ご褒美」のようなものでした。長年仕事に打ち込んできた分、これからは夫婦の時間を大切にしたい。その想いに一点の曇りもなかったといいます。
しかし、久美子さんにとっての老後は別の意味を持っていたのかもしれません。これまで子育てと家庭を支えてきた30年。夫のサポート役に徹してきた生活を振り返り、「これからの人生は、自分のために使いたい」と思うのは、ごく自然な感情ともいえます。老後に対する夫婦の温度差は、現代の家庭において決して珍しいことではありません。
生命保険文化センターが実施した『2022年 生活保障に関する調査』によると、「老後に夫婦でどのように暮らしたいか」という問いに対し、男性の多くが「夫婦で一緒にのんびり過ごしたい」と回答したのに対し、女性では「自分の趣味や自由な時間を楽しみたい」という意見が多くを占めました。
また、日本FP協会が実施した『くらしとお金に関する調査2023』では、「老後の暮らし方について夫婦で話し合ったことがない」と答えた人が全体の6割近くにのぼることがわかっています。意識や価値観の違いだけでなく、そもそも話し合う習慣がないことも、老後のすれ違いを生む要因といえるでしょう。
さらに、内閣府『令和4年版 男女共同参画白書』では、退職を機に家庭での役割が変化することにストレスを感じる女性が多いことも明らかになっています。理由としては、「家事の負担が増える」「干渉が増える」「自由が奪われる」といった現実的な悩みが挙げられています。
こうしたデータからもわかるように、夫が「これから一緒に」と期待する一方で、妻は「ようやく自分の時間を取り戻せる」と感じているケースは少なくありません。
これまで村田さん夫婦は「定年後どう暮らすか」について具体的な話し合いはほとんどなかったといいます。この前は、あくまで夫側のイメージを一方的に語っていただけで、お互いの意見や希望をすり合わせたことはなかったのです。金融や介護の不安、住まいの問題、日々の生活の役割分担――老後の生活には、夢だけでは済まされない現実的な課題が山積しています。夫婦間のすれ違いは、こうした準備不足から起きる誤解によって深刻化することがあるのです。
久美子さんが家を出てから数週間後、初めて夫婦で本音で話し合う機会を持ったといいます。そこで聞かされたのは、「一緒に過ごすことが苦痛だったわけじゃない。ただ、あなたの定年後のプランにおいて、私は登場人物のひとりでしかないと感じて苦しくなった」という言葉でした。
これまで家計も計画も夫主導で進められてきた家庭では、定年後もその延長線で物事が進むと思いがちです。しかし、第二の人生においては、夫婦ともに「自分の意思」を持ち寄ることが大切といえるでしょう。老後の生活設計においては、資金の準備だけでなく、価値観の共有もまた大切なステップ。特に長年連れ添った夫婦であっても、「これまで」と「これから」は切り離して考える必要がありそうです。
[参考資料]
生命保険文化センター『2022年 生活保障に関する調査』
日本FP協会『2023年 くらしとお金に関する調査』
内閣府『男女共同参画白書(令和4年版)』