
自分の家で食事が用意されない貧困家庭
現在23歳のAさんは、東京に住んでいる。
小学校入学後まもなく両親が離婚し、父親に引き取られ埼玉県から東北地方へ移り住んだ。その後、小学5年生のときに父親の会社が倒産・自己破産し、経済的に苦しい生活を送っていた。廃業後、父親は地元の建設会社で働きはじめ、朝早くから夜遅くまで働き詰めの毎日。そのため、Aさんが起きているあいだに父親と会えることはほとんどなかったという。そんな状況のなか、Aさんは朝食を食べることはなく、昼食は学校の給食、夕食は部活の練習後に友人の家で食べさせてもらうという生活を送っていた。
転機となったのは、中学3年生の春に地元の私立高校からスカウトされたことだった。家庭の事情を知る担任教師から、スポーツ特待生枠での入学であれば、学費免除制度があることを教えられた。
Aさんは当時を振り返り、「周りの友達が当然のように高校に進学を考えているなか、うちにお金がないことはわかっていたので、もしかしたら進学は難しいのかなと思っていました。監督からお話をもらったとき、自分の力を認められたことはもちろんですが、周りと同じように高校に進学できるかもしれないという喜びのほうが大きかったです。その後は、成績優秀者になるために、勉強も一生懸命しました」と語る。その甲斐あってAさんは学費免除で高校に入学することができた。
父が大学進学を強く勧めた理由
Aさんが進学した高校は、生徒の多くが早い段階から就職を意識する環境だった。そんななか、父親から「大学に行け」と勧められる。Aさん自身は高校1年生のときから、大学進学を考えておらず、父と同じ建設業界に就職することも選択肢の一つと考えていた。しかし、父親は「俺の手取りは月25万円だ。もう43歳だし、これ以上は増えないだろう。大学を出ているだけで、高卒の俺たちとは給料が違う。絶対に行け。ただ、学費は出してやれないので、申し訳ないが奨学金を借りてくれ」と強く促した。
Aさんは、父の働く姿を見て、収入を得ることの大変さを実感していたこともあり、大学進学を決意。どうせ学ぶならと、父がかつて経験した経営の難しさや、野球部の監督から指導者としての適性があると指摘されたことを踏まえ、マネジメントや組織論を学ぶことを目指した。