「一定期間、特定の地域や職場で働けば返済が免除される」こうした奨学金は、地域社会に貢献しながら学べる、非常に魅力的な制度だ。しかし、それは卒業後のキャリアについて、早い段階で大きな決断を求められるという意味でもある。5年後、10年後に新しい夢ができたとき、免除の権利を手放してでもその道に進むか。それは、多くの若者が直面する、悩ましい選択肢の一つだろう。本記事では、Aさんの事例とともに、奨学金とキャリアプランの長期的な関係について、アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏が解説する。
「返さなくていい奨学金」のはずが…。“地元に5年縛られる契約”を蹴り、東京で「月10万円の返済地獄」のなか生きる23歳看護師の告白 (※写真はイメージです/PIXTA)

返さなくていい奨学金のはずだったが…

Aさんは現在社会人4年目の23歳。山陰の地方都市で、公務員の父と、パートで働く母とのあいだに生まれ、5人きょうだいの真ん中として、賑やかな家庭に育った。

 

高校受験で第一志望の学校に落ちたAさんは、父から「資格を取れば将来に強みになる」と勧められ、看護師国家試験の受験資格が得られる5年一貫の看護学校へ進学することを決めた。両親は「借りられるものは借りて学びなさい」という方針を持っており、兄や姉も奨学金を利用していたため、奨学金を借りて進学することはごく自然な流れ。また、同じ看護学校に通う友人の多くも奨学金を利用しており、Aさんにとってそれは当たり前の環境だった。

 

Aさんが借りた奨学金の総額は216万円。卒業後、地元の病院に5年間勤務すればその後の返済が免除される制度があり、毎月の返済額は3万6千円だった。「中学生だった自分には、この金額がどれほど大きいのかイメージできませんでした。とにかく自分で返さなければいけないという漠然とした意識だけはありました」と振り返る。

 

さらに高校卒業のタイミングで、両親から教育ローンがあることを知らされる。在学中は父親が返済していたが、卒業後はAさんが返済を引き継ぐことになり、その額は月5万6,000円。奨学金と合わせると毎月10万円近い負担となることがわかった。「最初は驚きました。でも兄姉も返済していましたし、それが普通だと思ったんです」とAさんは話す。

 

国家試験に合格し、地元の病院で看護師として働き始めた1年目は、実家から通勤していたため返済はなんとかこなせた。しかし、同じ看護学校を卒業し、東京の病院に勤務している友人の話を聞くうちに新たな思いが芽生えていった。地元より高い給与水準に加え、自己投資やさまざまな娯楽を楽しむ友人の充実感あふれる姿を見たAさんは、「自分も地元を離れてもっと広い世界をみてみたい」と強く感じた。そして21歳、Aさんは看護師の職を辞めて、上京を決意した。