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「学費の高いところはやめて」…高校生のときに知った、家庭の現実
北海道で育ったAさん(女性)は、現在、都内の福祉関係の会社で人事職に就いている。高校生のころから文化や価値観の違いを学びたいという思いを抱き、大学進学を強く希望していた。親に進学の意思を伝えると、「学費の高いところはやめてね。留年もだめだよ」といわれる。自分の家庭は経済的に頼れる環境ではないと知った瞬間だった。
高校で開かれた奨学金説明会に参加すると、同じように真剣に耳を傾ける同級生が数多くいた。その光景をみて、「奨学金を利用して進学するのはそう特別なことではないんだ」と感じた。借金を背負う重みを強く意識することはなく、返済についても深く考えることはなかったという。Aさんは「借りれば大学に行ける」という単純な思いから、奨学金を申請した。
進学先としてAさんが選んだのは、多様な価値観を持つ人々が集まる東京の大学。一人暮らしを始めるにあたって、生活費が大きな負担になることを予想し、JASSO(日本学生支援機構)の第2種奨学金を毎月10万円借りることを決めた。シミュレーションの段階では「これで生活費も学費も賄える」と考えていたが、この時点ではまだ、その後に続く長期的な返済の重さを想像できていなかったのである。
初めての引き落としに衝撃
無事に東京の大学へ合格したAさんだったが、実際に一人暮らしを始めてみると、家賃や水道光熱費、交通費だけで想定以上の支出があり、生活費はすぐに不足した。食費や趣味、交際費は大幅に制限せざるを得なかった。結局、アルバイトで月10万円程度を稼ぎながら生活をやりくりすることに。また、学費の滞納を避けるため、奨学金はすべて親に渡して授業料の支払いに充ててもらい、生活が厳しいときには、奨学金か親の仕送りで不足分を補う形をとっていた。
大学を卒業すると、社員研修を提供する会社に営業職として就職した。初任給は22万円。奨学金の返済は1年目の10月から始まり、初めて口座から約2万円が引き落とされた通帳をみたとき、当時23歳のAさんは足がすくんだ。「これが20年も続くのか」と明るい未来がみえず、途方に暮れる。
加えて、職場では過剰なノルマや罰則、常習的なパワハラに悩まされ、心身ともに疲弊。若手で給料も少なく、奨学金返済があるから辞められないと考え続けた。しかし、ついに不安と恐怖から眠れない日々が続き、「このままでは体を壊す」と1年半で退職した。