「将来、働けばなんとかなる」── 学生時代、そう信じて借りた数百万円の奨学金。しかし、その決断を下す18歳の時点で、予期せぬライフスタイルの変化まで正確に予測できる人がどれほどいるだろうか。本記事では、アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏がAさんの事例とともに、奨学金という重荷を背負った若者の実態に迫る。
奨学金を借りたことを後悔しています…出版社志望で上京した女性。大学3年生の1月、深夜1時の母からの電話で「夢が散った日」 (※写真はイメージです/PIXTA)

奨学金を前提にした進学

中国地方出身で社会人2年目のAさん(女性)は、幼いころから父との関係が良好ではなかった。父は教育にはほとんど関わらず、寡黙で、怒るととても怖い存在だったため、進路について相談することはできなかったという。

 

家庭の経済状況を詳しく把握していたわけではない。しかし、母は専業主婦で父だけが働いていたため、「大学に進学するなら奨学金を借りるのは当たり前だろう」という空気を感じていた。さらに、出版関係の仕事を夢みていたAさんは、東京の私立大学に進学したほうが有利だと考え、一人暮らしと生活費のための資金も必要になった。母に相談すると、「お金や住む場所はどうするの? まあ、お父さんがいいっていったらいいんじゃない?」と返された。そのため、まずは奨学金でいくら借りるかを決めてから父に話すしかないと考えた。

 

高校で行われた奨学金の説明会には多くの同級生が参加しており、友人たちとも「借りられるなら多めに借りておいたほうが安心だよね」と話していた。そして日本学生支援機構(JASSO)の貸与型奨学金を第一種と第二種の併用で申し込み、結果的に4年間で約760万円を借りることにした。

 

「頑張って働けば、月数万円くらいの返済ならなんとかなるだろう」──Aさんは、そう軽く考えていたのである。

 

夢に向けて準備を始めた大学時代

大学生活のなかで、Aさんは早くから就職活動を意識していた。1年生のころから出版社でアシスタントのアルバイトを続け、「着実に自分のためになっているはず」と、経験を積んでいく。一方で、サークルやゼミの先輩たちが就活解禁前に次々と内定を得ていく姿や、長期休みにインターンへ行く姿をみて「大変そうだ」と思いつつも、不安や焦りを募らせていた。

 

出版業界を志望しつつも、内定がもらえないリスクや奨学金返済への不安から、ほかの業界にも目を向け、給与水準や福利厚生を重視して企業を探していた。