日本学生支援機構(以下、JASSO)の調査によると、令和5年度にJASSOの奨学金を利用した高等教育機関の学生は、全体の約3分の1にのぼる。進学や就職の夢を支える制度である一方、返済が金銭的・精神的な負担となり、その後の人生設計を圧迫するケースも少なくない。本記事では、Aさんの実例を通じて、奨学金返済の現実について、アクティブアンドカンパニー代表の大野順也氏が解説する。
まさか、私が…東京で月収40万円「大手食品メーカー勤務」だった31歳女性が“ブラックリスト”入り。故郷の四国で「夜のお仕事」を始めた理由 (※写真はイメージです/PIXTA)

自立を目指して選んだ進学とキャリア

現在31歳のAさんは、四国地方に住む会社員。Aさんが4歳のときに父親が病気で他界し、以降は母親と2人で生活していた。当時の状況についてAさんは、「母は朝も夜もずっと働いていたため、私は祖母の家に預けられていました。そのため、幼いころの記憶のほとんどは祖母とのものです」と語る。

 

母親や祖母に大切に育てられたAさんは、大学進学のタイミングで地元を離れ、関西の大学へ進学した。「母のように一人で稼いで生活していける自立した女性になりたいと思い、大学へ進学することを決めました。母には絶対に負担をかけたくないと思っていたので、奨学金を借りる以外の選択肢はありませんでした」

 

大学の入学金は祖母が出してくれた。また、経済的な理由によって授業料が全額免除となったAさんは、母親からの仕送りを一切受けずに、毎月10万円の奨学金とアルバイト代約5万円、トータル約15万円の収入で生活していた。母親を安心させたいという思いから、誰もが聞いたことのある企業を中心に就職活動を進め、東京の大手食品メーカーに営業職として就職することができた。

 

大学卒業から半年後、総額480万円の奨学金返済がスタートした。大手企業ということもあり待遇はよかったものの、1年目の手取りは月19万円程度。そこから生活費として約14万円(社員寮などはなく、未婚職員には家賃補助がでない)、毎月の奨学金返済に約2万2,000円を支払い、手元に残るのは3万円程度だった。急な出費があればすぐになくなる額。特に地元の友人から結婚式の出席を求められると肝を冷やしたという。このような状況では、自由に使えるお金も、貯金するお金もほぼなかった。

 

「若手のうちはもちろん収入が少ないことはわかっていましたが、営業ということもあり、お客様に失礼のないよう身に付けるものにも気を遣い、クリーニング代や身だしなみを整えることにお金を使うことも多かったです」

 

それでもAさんは「自分で借りた奨学金なので、自分で返すのが当たり前」と、生活費を節約しながらなんとか返済を続けていた。