エリートサラリーマンの生活が一変
現在40歳のYさんは理系の有名私立大学を卒業後、大学院を出て大手食品メーカーの研究員に就職。これまでの研究を仕事で続けることができると喜びました。就職後、35歳で年収1,000万円となった、いわゆるエリートです。
「おれ、いま絶好調だ」と研究に没頭する毎日でしたが、突如おそったのは親の介護。元気だった当時65歳の母が、転倒によるケガが原因で介護が必要となります。母子家庭で育ったYさん。きょうだいはいません。これまで女手ひとつで苦労しながらも私立の大学院まで入れてくれた母に恩返しがしたいと、実家に戻り介護休業をとることにします。
介護休業は常時介護を必要とする状態の家族1人につき通算93日まで取得できる制度です。この期間は生活保障として雇用保険から介護休業給付金を受け取ることができます。
いままで研究一筋で過ごしてきたYさん。慣れない介護をすること、仕事を一時ストップすることにもちろん不安もありました。収入が十分にあり、施設等に入れることもできましたが、自分と同じで、口下手で人付き合いが苦手な母を預けることに大きな抵抗を感じたのです。また、このときは休みをとるのは一時的なもの、休みは93日間なのでその間、母との時間を大事に過ごし、母のリハビリ期間を終えたら働きながら介護をすることにしようと考えていました。
――しかし、介護の現実は想像を絶するものだったのです。
母との介護生活
介護は想像以上に慣れないことが多く、悪戦苦闘の日々が続きます。リハビリも思うようには成果が出ず、Yさんも母親も焦りを感じ、それがだんだんと苛立ちに繋がってくるようになります。
実際には、母親の苛立ちの正体はせっかく自慢の息子が仕事で認められているのに、自分がそれを邪魔してしまっているという自責の念でした。身体は以前のように動かないし、仕事に戻りなさいと言っても息子は言うことを聞かない。しかしながら息子がいてくれることの安心感、さらにはいまのようにそばにいてくれなくなったら独りぼっちになってしまうという寂寥感から、自身の弱さに辟易するのです。苛立ちから涙が止まらなくなり、感情が抑えられなくなることもありました。
一方Yさんは、そんな母の気持ちを理解しつつ、上手く言葉にできません。さらにYさんには完璧主義な一面があり、介護も一切手抜きをせずに完璧にしようとしてしまうのです。これがYさんを苦しめていました。介護の本を読んで学び、いざ実践しようと思ってもそのとおりにはいかない。スケジュールをしっかり決めてそのとおりに一日のリハビリタイムラインを作っても、想定外の出来事に阻まれてしまう。こうした積み重ねがストレスと苛立ちで、介護生活には鬱々とした空気が流れ続けます。
母親の容態はよくなったり悪くなったり……。Yさんは、いまの状態がよくないことを感じていましたが、これまで研究一筋で友人も少なく、限られた友人も研究者として仕事が忙しいため、相談する相手がいないまま。一人でなんとか頑張るしかないと、もがき続け、現状を打破することはできませんでした。