親から逃げたい
Aさんの幼少期は、いつもピリピリとしていた母親に怒られながら育ち、あまり楽しい思い出がありません。離婚した父親が養育費を払わない、仕事量の割に勤め先の給料が低すぎる、と母子家庭で生活が苦しいということもあり、母親はいつも愚痴を言っていました。祖父母とも疎遠な母親には、Aさんのほかに吐きだす相手がいなかったからかもしれません。小学校のころ、同級生の家に遊びに行ったところ、笑顔で子どもの話を聞く友達の母親の姿に驚いたことがありました。
母親は常に自分中心で、とくに機嫌が悪いときの八つ当たりにはAさんも参っていました。「お前はなんにもできない」「ダメでダメで仕方ない」と怒鳴り散らされました。Aさんが最も嫌だったのは「出来の悪いお前は、多額の借金を作って離婚した父親とそっくり、あんたも将来ああなる」などと繰り返し言われてきたことです。なにも言い返せないAさんは、早く家を出たい、母親から離れたいと、逃げることばかりを考えていました。
勉強が不得意だったうえ、うちには高校に入るお金もないと思っていたAさんは、中学卒業後の進路は就職を希望します。しかし、「親を捨てるのか」などと母親に泣き叫ばれ、なだめながらお金はどうするのかとAさんが母親に尋ねると、「お前も働けばなんとかなる」との返答が。結局、高校へは進学することに。隣町の公立工業高校に決めました。
高校入学後
高校進学後はすぐにアルバイトを始めます。バイト代は母親へすべて渡すことになっていました。Aさんもそれが当然と思っていたのです。
あるとき、同級生に母親のことを自虐的に話したところ、「それ、毒親じゃん」といわれます。Aさんはこのときはじめて、自分の親は毒親なのかと思ったそうです。そして高校卒業後は、今度こそ親から離れようと決意します。住みこみ全寮制の企業を希望したところ、進路指導の教師からは自衛隊を勧められ、戸惑いながらも毒親から離れられるならと入隊を決意します。
やっとの思いで離れられ、自由だと思いきや、自衛隊の訓練はAさんにとって過酷なものでした。学生時代に部活動などで運動をしたことのないAさんは体育会社会についていくことができず、早々に除隊します。