東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸幕府に由来する街を巡っていきましょう。
丸の内、見附、高田馬場、お台場…江戸文化息づく「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩①】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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北の丸【千代田区】…江戸城本丸の北側に隣接

皇居 北の丸 高麗門・田安門入口
皇居 北の丸 高麗門・田安門入口

 

北の丸は現在の竹橋・五番町線(代官町通り)以北の千鳥ヶ淵、牛ヶ淵の堀に囲まれた地域であり、その北端に田安門、東側に清水門、竹橋門の城門を持ち、本丸北部に隣接しています。田安門は上州道の起点となり、当時の江戸五口『浅草口(常盤橋)』『柴崎口(神田橋)』『甲州口(半蔵門)』『小田原口(桜田門)』の一つでした。

 

明治以降は天皇の守衛や儀式を司る陸軍の師団「近衛師団」が設置されました。明治十一年(1878)八月二十三日夜に近衛歩兵連隊の反乱「竹橋事件」が起きていますが、近衛連隊は昭和二十年(1945)の終戦までこの地にあり、昭和四十四年(1969)に「北の丸公園」として一般公開されました。田安門の西側には千鳥ヶ淵水上公園や、代官町通り沿いに旧近衛師団司令部(国の重要文化財)があります。

 

【北の丸周辺のおすすめスポット】

◆日本武道館

武道だけではなく屋内競技場、多目的ホールとして利用される

◆北の丸公園

江戸城の北の丸であった場所にできた国民公園の一つ

◆東京国立近代美術館

明治時代後半から現代までの近代美術作品を随時コレクションし、常時展示

◆科学技術館

日々の生活に溢れる身近な科学の原理から応用まで様々な展示を行う施設

◆千鳥ヶ淵

側にある千鳥ヶ淵緑道は日本有数の桜の名所

 

見附【千代田区】…枡形構造を持つ城門に由来

江戸城の規模拡大により、慶長八年(1603)までに城を中心に、「の」の字型右渦巻き状に堀が掘られました。この堀の分節となっているのが「桝形」(防御用の空地)を持つ城門「見附」です。この枡形構造を持つ城門が外堀に沿って多数配置され、それらのいくつかが地名を冠した見附の称で呼ばれました(牛込見附、四谷見附、赤坂見附など)。明治以降、城門が撤去されても、これらの多くは地名として現在も残っています。

 

見附という語が「見張る」や「監禁する」を意味するように、城門の外側に面する場所に番所を設け、諸人の通行の監視をしました。のちに一般的に内郭・外郭の差なく城門を指す呼称としても用いられました。

 

江戸城には「三十六見附」があると言われていますが、実際の城門の数は100近くあるため、「三十六」は江戸八百八町などと同様に「主要な」あるいは「多数」を意味する言葉であると考えられます。

 

城門の警備は非常に面倒な規則に縛られて運営され、門番は昼夜を問わず常駐しなければならず、食事は炊き出しを原則としていました。やがて町人請負の「炊き出し屋」が賄うようになり、結果、見附付近に町屋が発展しました。

 

【牛込見附周辺のおすすめスポット】

◆東京大神宮

東京の『お伊勢さま』として、恋愛成就から仕事や対人関係などあらゆる縁にご利益があるといわれる神社

◆靖国神社

幕末から先の大戦までの「国のために尊い一命を捧げた方々のみたま」を祀る神社

 

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