東京には、江戸時代に由来する地名が数多く残されています。今回は江戸幕府に由来する街を巡っていきましょう。
丸の内、見附、高田馬場、お台場…江戸文化息づく「東京の街」を巡る【江戸歴史散歩①】 (※写真はイメージです/PIXTA)

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高田馬場【新宿区】…幕府の旗本が馬術競技を行う場所

高田馬場駅前を望む
高田馬場駅前を望む

 

高田馬場は江戸時代に幕府によって造られた馬場の一つでした。馬場とは幕府の旗本たちが乗馬・馬術の練習および流鏑馬などの馬術競技を行うための場所です。馬場は他にもありましたが、地名として残るのは高田馬場のみです。なお、「高田」は、家康の六男で越後高田六十万石(新潟県上越市)の藩主である松平忠輝の母、高田殿が遊覧した土地であることからついた地名とされています。

 

高田馬場を有名にした話が、元禄七年(1694)に起きた堀部(中山)安兵衛武庸の仇討ちです。この出来事から赤穂藩浅野家家臣・堀部弥兵衛の養子になり、のちに赤穂四十七士の吉良邸討ち入りに参加する一人となります。

 

学生街として知られる現在の高田馬場は、江戸の高田馬場とは別です。明治四十三年(1910)、旧国鉄の駅ができた時、1キロメートルも離れているのにもかかわらず「高田馬場」が駅名として採用され、同時に駅周辺の地名が「高田馬場」となりました。ちなみに、江戸時代の高田馬場は現在の西早稲田三丁目あたりです。

 

【高田馬場周辺のおすすめスポット】

◆戸山公園

園内にある箱根山は山手線内では最も標高が高い山として有名

◆おとめ山公園

東京の名湧水57選に選ばれた湧き水があり蛍の養殖が行われる。『御留山または御禁止山』と書き、江戸時代は一般人は立入禁止だった

お台場【港区】…ペリー艦隊に対抗する砲台

お台場嘉永六年(1853)、江戸湾(東京湾)入口の浦賀に、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーを乗せた黒船が開国を求めるため現れました。当時の日本には千石船(米1,000石=150トン)以下の船しかなく、巨大な黒船を見物しようと人々が集まりました。

 

一方、幕府はこれを脅威に感じ、アメリカ艦隊に対抗するための防衛手段として、品川沖に砲台(お台場)を建造することが建議されました。ペリーが来航する嘉永七年(1854)春までにお台場を完成させなければならず、商人たちに建設を請け負いさせました。当初は11ヵ所建造する計画でしたが、日米和親条約が結ばれたり、幕府の財政難などから計画は途中で中止となり、完成したのは第一、二、三、五、六台場だけでした。台場はその後、第一、第五台場が埋め立てられて品川埠頭となり、七割程度の完成だった第四台場は埋め立てられて、天王洲アイルとなっています。

 

現在も形を残すのは第三台場(お台場海浜公園の外郭部分)と第六台場(レインボーブリッジの中間点)の二つです。「台場」の地名は「港区台場(一・二丁目)」として残っています。

 

【お台場周辺のおすすめスポット】

◆アクアシティお台場

お台場海浜公園に隣接する複合商業施設

◆お台場海浜公園

人工砂浜『お台場ビーチ』は遊泳・釣りが禁止だが潮干狩りや浜遊びが楽しめる

◆日本科学未来館

国立の科学館。日々の素朴な疑問から最新テクノロジー、地球環境、宇宙探求、生命の不思議まで展示を常設

◆東京ジョイポリス

国内最大級の屋内型テーマパーク。VR体験や様々なアトラクションが楽しめる

◆デックス東京ビーチ

都市型ショッピングモール。東京ジョイポリスやレゴランドなどエンタメ施設も充実

◆ダイバーシティ東京プラザ

実物大ガンダムで有名な商業施設

 

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